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たゆたえども、沈まず


今日は直接的なワインの話ではありませんが、フランス滞在で気付かされて今も大切にしている、ある名言について書かせていただきます。



人は誰しも生きていくうえで、大切にしていたり支えになっているような言葉があるのではないでしょうか。

勇気をもって何かに挑戦する時、不安に苛まれて何かに縋りたくなった時。
そういった言葉が背中を押してくれたり、救いの手を差し伸べてくれるような気がします。


私にも道に迷いそうな時や困難に立ち向かわなくてはいけない時に、迷わずいけよと鼓舞してくれるような、
そして不寛容な時代を生きていく中で毅然とした態度で切り抜けていけるような、そんな座右の銘ともいえる言葉があります。


『 たゆたえども沈まず (Fluctuat nec mergitur) 』

という言葉をご存知でしょうか?

これは16世紀から存在するパリ市の紋章の帆船に添えられているラテン語の標語で、「どんなに強い風が吹いても、どんな波に翻弄されたとしても、揺れるだけで決して沈みはしない」ことを意味しています。

民衆による革命や、幾度となく災禍や戦禍に見舞われるも、その度に困難を乗り越えてきたパリが歩んだ数奇な歴史とも重なって、とても意味の深い言葉だと思っています。


記憶に新しいところでいうと、2015年11月にパリ市内で起きた過激派による同時多発テロの数日後に、エッフェル塔をはじめ市内のいたるところで掲げられた言葉でもあります。

宗教や思想の違いがあったとしても決して許されない凄惨な事件が起こってしまったのは、奇しくも私が渡仏して2ヶ月が経った頃のことでした。

それまでも耳にしたことのある言葉でしたが、思いがけないことがきっかけで私の心に深く刻まれて、不撓不屈の精神で困難を乗り越えていくフランス人の強さに感銘を受けたのです。





その痛ましい事件から数ヶ月後、私は「レ カプリアード」というワイン生産者のもとで住み込みで研修させていただくことになります。

前年も収穫や醸造のお手伝いはさせていただきましたが、畑でどのように葡萄が育っていくのか、その過程をしっかりと学びたくて栽培から携わらせていただくことにしたのです。

畑での仕事は想像していた以上に大変でした。

気の遠くなるような単純な作業の繰り返し、容赦なく降り注ぐ太陽の光を遮るものは何もありません。
できるだけ化学的なものや機械に頼らないものですから、ほとんど全てを手作業でこなすわけで毎日へとへとになるまで働きました。

不思議なことに、少しずつ成長していく葡萄と畑の中で時間を共有しているのだと捉えれば、過酷な畑作業も決して苦ではなく、むしろとても豊かな時間を過ごさせてもらっているのだと幸せを噛み締めていました。

たった数ヶ月の研修だとしても、腐らず真面目に頑張ればきっとその先の自分に繋がるはず。
面倒をみてくれる彼らのためにも精一杯の努力をもってその恩義に報いようと、一心不乱に仕事に打ち込む日々でした。


自然とは時としてとても残酷なもので、雹や遅霜、それに付随する度重なる病害によって、結果としてその年の葡萄の収量は3割にまで落ち込んでしまいました。

愛情をもって育ててきた葡萄畑の惨状を目の当たりにして涙ぐむ私の隣で、彼らは黙々と作業を続けます。


『これが自然を相手にするということだよ。
偉大な自然の前では私たち人間はとても無力なんだ。
それでもこの仕事を選んだからには、下を向いていないで乗り越えていかなければならない。

"たゆたえど沈まず"という言葉を知っているかい?

どんなに悪天候に見舞われたとしても、決して腐らずにやり遂げれば必ずその先に幸せが待っていると信じている。

さぁ、涙を拭いて仕事に取り掛かろうか。』


きっと心中穏やかではなかったはずです。

にも関わらず、決して弱音を吐くことなくただひたすらに前を向いて働く彼らの背中が、私にはとても大きく感じられました。

『 C’est comme ça, C’est la vie du vigneron. (仕方ない、それが造り手の人生さ) 』

その言葉が今でもずっと忘れられずにいます。





お店を始めて半年が過ぎたくらいでしょうか。

パンデミックが招いた未曾有の事態によって、あらゆることが制限されて私たちの生活は大きく変わることを余儀なくされました。

その時の感情をここで吐露するつもりはありません。

酒類の提供の一切を制限された時には流石になす術なく感じられ、それまでは要請に応じつつも歩みを止めずにいましたが、初めて完全休業という形を取ることに決めました。

今思い返すとあの時のことはあまり覚えていないのです。


基本的にはあまり周りのことを気にしないのですが、あの時ばかりは我関せずというわけにはいかず、
他店様の動向をSNSでチェックしたりと情報を眺めつつも、今できること、今すべきことはなんだろうと模索していました。

休業して一ヶ月が経った頃、じっとしていられない性格ということもあって悩みに悩んだ末に、週末だけお酒を提供しない喫茶営業をするのはどうだろうという考えに至りました。


ワインを扱う最たる酒場がすべきことなのかと悩みはしましたが、いい意味でお店の空気を入れ替えるというか、お店が閉まって一番困っているのはそれまで支えてくれた馴染みのお客様なわけで、少しでもお役に立てるならばと手探りで始めたのです。

普段からワインを楽しみにされている方々が水出し紅茶や珈琲で満足してくれるのかと不安でしたが、できるだけ本質的なことがしたいと思って、お店で扱っているナチュラルワインに通ずる世界観のものを吟味して提供することにしました。

挑戦してみたかったお菓子作りも、せっかくの機会なので試作を重ねてお出しすることにして、それが今にも繋がっています。


愚痴をいっても何も始まらないし、手持ちのカードで今できることを創意工夫を凝らして実践してみよう。

不穏な空気が漂う時期でしたが、出来るだけ言葉を選びながらその旨をSNSで表明し、結果としそれに賛同して沢山の方々がお店に足を運んでくださいました。


不慣れな営業形態に戸惑いつつも出来るだけ笑顔を忘れずに、お越しくださった方に精一杯のおもてなしをさせていただきました。
店仕舞いをするころには、休業中のブランクもあってかいつも以上に疲れ切っていました。

嫌らしい話かも知れませんが、お酒を提供しないとなると通常の売り上げの半分にも満たないわけです。
しかしそれがいつも以上に重く感じられたのです。

こんな時期にも関わらずお越しくださるお客様への感謝を決して忘れてはならないのだと、閉店後のお店でひとり涙を流す毎日でした。


秩序を守りつつも、お客様が穏やかにお店での時間を楽しまれるその光景は、ワインを提供する時となんら変わらない「大人の社交場」そのものだったのです。

「酒は憂いを払う玉箒」ではありませんが、例え扱うものがいつもと違ったとしても、それでも立ち止まらずにいることが大切で、改めて酒場が存在する意義というものを深く考えさせられた次第です。



今でこそ冷静に振り返ることが出来ますが、何が正しいのかも分からず、手探りで答えを探し求めていた自分を支えてくれたのは、「たゆたえど沈まず」という言葉だったように思います。

たとえどんな苦境に陥ろうと、みっともない姿を晒そうと、簡単にあきらめずに必死でもがき続ければ、決して沈まないということを改めて教えられた気がします。




失うものはたくさんあったとしても、それ以上に気づきやそれを受けての学びがあれば、たとえどんな困難があっても乗り越えていけるものだと、そう信じてこれからも小さな船の舵をとっていきたいと思っています。






一本のワインとの出会いが、その後の人生を大きく変えてしまうかも知れない。
そんなワインに人生を狂わされ、現在進行形でワインに狂わされ続けている小さなワインスタンドの店主の話。

日々思うあれこれや是非ともお伝えしたいワインに纏わるお話を、このnoteにて書き綴らせていただきたいと思っております。

乱筆乱文ではございますが、最後までお読みいただきありがとうございました。


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