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ボトルで飲むからこそ、見えてくる景色だってある


今日はボトルで向き合うワインの楽しさについてのお話を。





私のお店は7坪ほどの小さなワインスタンドで、食事はそんなにいらないけれど美味しいワインをグラスで楽しみたくてご来店くださるお客様がほとんどです。
常時10種類くらいグラスで開けていて、その時の気分や好みをお聞きしてお勧めの一杯を提供させていただいています。


そんなグラスで色々なワインを楽しめるのが強みのお店なのですが、時にはボトルでじっくりと向き合ってみるのはいかがでしょうか?




食事を伴う場合やある程度の人数がいるならともかく、せっかくグラスで色々開いているのにボトルで頼むなんて随分とハードルが高く感じられますよね。
そもそも自分の好みを伝えるのも難しいし、それなりに量もあるのに好みに合わなかったり途中で飽きてしまうかも知れない。ましてや予算のこともあります。

容易に想像できるお客様の声を書き出してみると、むしろボトルでオーダーする理由が見当たらないくらいです。



それなのにグラス売りの最たるワインスタンドの店主が、敢えてボトルで飲むことをお勧めするのは何故なのでしょうか?




注ぎ手の数だけワインへの想いや哲学があるので「あくまで私は」と前置きしたうえで、たまにはじっくりとボトルで楽しむことの素晴らしさについて語りたいと思います。

ここでは食事を伴わない、もしくは軽いつまみとともに少人数でワインを楽しむ風景を想像して話を進めさせていただきますね。






“グラスワインは移りゆく風景を切り取ったスナップショットのようなもので、ボトルでワインを飲むことは一本の映画をじっくりと鑑賞するようなもの。”


ナチュラルワインについて書かれた本の中で、あるワインバーのご店主がそれぞれの飲み方について例えられた言葉です。

随分前に読んだのと今は手元にその本がないので細かい言い回しは異なるかも知れませんが、素敵な言葉選びだったのがとても印象に残っています。


グラスで飲む一番の魅了はやはり、いろんな種類のワインを気軽に楽しめるということでしょうか。
ただそのワインが抜栓されたタイミングや上澄みなのか、それとも澱に近い底の部分なのかを飲み手が狙って飲むことは出来ません。

スナップショットとは言い得て妙で、その時々の印象を即興で言語化したうえで一番いい形でグラスにお注ぎするのはとても難しいのですが、その一瞬を切り取ったひとつの完成された作品をグラスワインとしてお届けするわけです。

難しさの反面、注ぎ手の個性や想いも重ねてご提供するので、例え同じ銘柄のワインだとしても、いただくお店で印象が随分違って思えるのだからとても興味深いことです。

ですが全てのワインをグラスで提供するのは難しく、ことナチュラルワインにおいては足の早いものや日を跨げない非常に繊細なものも多くあります。
価格帯だって無視できませんし、こちら側が最後まで気持ちよく注ぐためにもある程度の安定感や扱いやすさが求められるのも事実です。

要はグラスワインに向くワインとそうでないワインがあるわけです。


裏を返せば、ボトルで飲むという選択肢があれば、たとえ短時間で味わいが著しく変わってしまうような繊細な酒質のものであっても、そこに至るまでの儚くも美しいワインの世界に浸ることができます。


開けたては少し大人しく感じられた香りや味わいが、時間とともに徐々に緊張がほぐれて深みが増していき、ついに美味しさの絶頂を迎える頃にはボトルにはあと僅か。
別れを惜しむように澱の際まで堪能して飲み終える。


少し大袈裟な例えかも知れませんが、ボトルでじっくり向き合うことは一本の映画を鑑賞することにとてもよく似ている気がします。

造り手にとってワインとは努力の結晶であり、そして我が子のような愛おしい存在です。
ボトルで味わったからといって葡萄畑や造り手の人となりが見えてくるわけではないかも知れませんが、それでも飲み終えた後には少しだけ近い存在になるような気がしてなりません。

そしてそんなワインとお客様とのご縁を紡ぐお手伝いをするために、私たち注ぎ手がいるのです。

以前書かせていただいた話なのですが、少しずつワイングラスが手に馴染んでいくその感覚をきっと実感していただけるはずですよ。





フランスに渡る少し前のことです。

仕事終わりにたまにお邪魔していたお店があって、遅めの時間はグラスワインだけでも気軽に楽しむことが出来たのです。
ナチュラルワインの魅力に取り憑かれていた私はいつもグラスで何種類かいただいていたのですが、ある夜ご店主に「たまにはボトルで飲んでみないか」と提案されました。

遅い時間ということもあって軽いつまみしかなく、ましてや一人でボトルを空けられるのかという不安や、財布の中が心許ないという事情もあって暫く悩んでいると、その表情を察してくださったのでしょうか、

「よかったら一杯だけ貰ってもいいかな、その分安くしてあげるから。」

そんなひと推しもあり、初めてワインバーでボトルを開けることになりました。


選んでいただいたのは私が大好きな生産者であるカトリーヌ エ ピエール ブルトンの「トリンチ」というワイン。
フランス北西に位置するロワール地方のカベルネフランという品種で造られた、滋味深い赤ワインです。

希少価値が高いというよりはグラスでも供されるような親しみやすいワインで、しかもグラス用に同じ銘柄が別で開いてたので、とても生意気な話なのですが少しだけ拍子抜けてしまいました。
美味しいのは勿論知っているんだけれど、一体どうしてこのワインなんだろうか、と。



カベルネフランの個性であり、同時に好みがはっきりと分かれてしまうベジタルな香りはほとんど感じられず(個人的には結構好きなのですが)、エキス分に富んだ旨みとしなやかなタンニンが心地よく、仕事終わりの疲れた身体にじんわりと沁みていくようでした。
味わいの奥に感じる土っぽさや、茎を思わせる青みを伴った香りも飲み進めるごとに少しずつ印象が変わり、素朴な果実の味わいと見事に調和していくのです。

決して派手さのある味わいではなく、ボトルを通して波乱万丈な物語が描かれるわけでもないのですが、静かに流れゆく旋律が包み込むような優しさがそこにあって、気がつけばなんのストレスも感じることなくボトルが空いていました。



満足してお会計をお願いすると想像していた以上に良心的な価格だったので、グラス用に開けていた同じ銘柄のものをもう一杯いただくことにしました。

不思議なことなのですが、先ほどボトルでいただいたものと同じ銘柄にも関わらず、随分と印象が違うように感じられました。
とても美味しいことに変わりはないのですが、ワインとの親密さというか心地よさが先ほどには届かないのです。


『これがボトルで飲んでこその楽しさなのかな。』


率直な意見をお伝えすると、ご店主はしめしめと言わんばかりに、


「今晩飲んでくれたワインのことは銘柄やヴィンテージは覚えていても、時が経てば味わいや香りのことはいずれ忘れてしまうだろう。味覚や嗅覚というのは残念ながらずっと記憶に留めておくことはできないからね。


ただ、このボトルを僕と共有したことはきっと忘れないだろう。


グラスで楽しめるはずのワインを敢えてボトルで勧められたことも、その後にグラスで頼んだものとの僅かだけれど確かな違いも。
後付けのように聞こえるかも知れないけれど、注ぎ手としてこのことを君に伝えたかった。ボトルだからこそ、見えてくる景色だってあるだろう?」



ドイツ語で「乾杯」を意味するこのワインと店主の粋な計らいで、その日を境にボトルでいただくことのハードルが随分と低くなったのは言うまでもありません。
そしてブルトンという素晴らしい生産者のことをもっと好きになりました。



それでも少人数でボトルで楽しむことが、決して気軽でないことは酒場の店主が一番よく分かっています。お店でも変わらずグラスでのご提案が中心ですし、一杯のワインをお注ぎすることへの努力は惜しみません。
そのうえで、こちらの文章がきっかけで少しでもハードルが低く感じていただけたその時は、是非とも素敵なワインとのご縁を紡ぐお手伝いをさせてください。

普段お世話になっている人への感謝の気持ちや仕事を頑張ったご自身へのちょっとしたご褒美に、あるいは大切な人と親密な時間を過ごしたい時に。
いつもと少し違う楽しみ方で、人生がより豊かなものになるとそう信じています。





一本のワインとの出会いが、その後の人生を大きく変えてしまうかも知れない。
そんなワインに人生を狂わされ、現在進行形でワインに狂わされ続けている小さなワインスタンドの店主の話。

日々思うあれこれや是非ともお伝えしたいワインに纏わるお話を、このnoteにて書き綴らせていただきたいと思っております。

乱筆乱文ではございますが、最後までお読みいただきありがとうございました。


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