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サイはせつなくもたげた角を砂漠にあずけた

動物の犀が好きで長年、旅先や地方で見つけたら犀のオブジェ的なのを収集している
漫画も好きで電子版ではなく、本の方で気に入った作品は購入している。
わたしには漫画のプッシャーが居て、わたしの好みそうな漫画をその都度すすめてくれる。
残念な事にそのプッシャーは電子版タイプである
ただ非常にわたしの好みを理解しており、勧められた漫画は最高に面白いし、知的好奇心が増す
最近だと地動説の話を軸に描いた『。-地球の運動について-』これは読み終えたが面白かった
最澄と空海の話『阿・吽』は今読み始めたところだがすごく面白い
難しい仏教用語がおおくて1巻の後半でこう描写されている
「犀の角のようにただ独り歩め。」これがわたしにとって深く考えるきっかけになった
昔読んだ小説で田口ランディの「コンセント」か「アンテナ」と言う作品の中で「犀の角は世界一のアンテナ」と描写されていた
これも深く頭の中に残ったワードである
今は40代に入っている
10代から20代、また30代前半と確かに「犀の角のようにただ独り歩め」的な考え方がわたしにはあった。
そうやって突き進んでいた
10年前から店舗を所有するようになり、容易に動けなくなった
それを補填するかのように犀のオブジェの収集がはじまった
40代に踏み込んで色々な責任からもっと突き進めなくなった
「犀の角のようにただ独り歩め」わたしはここから遡及する事にしてみた
わたしのニルヴァーナはどこだったかを

10代20代と非常に外の世界に興味があった
今の様にインターネットがそこまで普及しておらず、情報はTVか雑誌だった
後は踏み出す一歩のみで、どんどん自分の渇きを満たす為に、外に外に歩を進めた
多様な世界があり、色々な人種がいた
ただ今思うと非常に偏った世界だった
今の様に瞬時にインターネットにアクセスでき、全ての情報を網羅できなかった
いい感じで満たされるとまた別の渇きが生まれた。
わたしはそこから今のシーンから次のシーンへと移行していった
土地を変え、人を変え、国を変え、文化を変えと
一通り満たされると次は自分自身の内面に興味がわいた
そこで携帯やインターネットを処分して、浜松の奥山と言う山奥で陶芸家に弟子入りして、一人の生活を2年間楽しんだ
孤独に向き合っていたと思うし、どこか自己陶酔していたように思う
東日本大震災と共に山を降りて、故郷、気仙沼に帰省
ただただ「絶望」だった
漫画ベルセルクの「蝕」のようだった
初めて自分自身の歩が進まなくなった
一年程、故郷で向き合ったが抱えきれず、強引に歩を進めた
大阪新世界に辿り着いて今がある。
店舗をして多種多様な人間が訪れるようになる
店舗と言う枠が、わたしには良いように作用してその枠の中で試行錯誤しだした
10年と言う月日が流れていた
有意義な時間だった
枠がある事で夢中になれるものがあった
色々な人種がいたのでインスパイアしあった
40代に踏み込んでいた、色々な事が出来るようになった
満たされていたし、溢れてきた、そしてまた渇いてきた
色々なしがらみや関係、一番は店の所有と言う所がわたしの場合はデカかった
「阿・吽」を読んで、「犀の角のようにただ独り歩め」ここの描写が頭にズンッと来た

6年前にソロのイベントをピカスペースで行ったのを思い出した
イベントタイトルは『サイはせつなくもたげた角を砂漠にあずけた』
詳細内容も下記に添付する

赤い布を風に委ねた
対角線上に遠くがいた
遠くは、遠吠えをあげた
穿つ音で、思わずわたしは、あっけにとられた
はっとして対角線上に意識を向けた
遠くは、砂に足を取られていた
こんなに傍にいるのに
かがり火は、あの時から灯してる
赤い狂気を見せてくれなか
郷愁を与えてくれないか
その角で
わたしは、遠くへいきたいんだ

うーん6年前か
確かにあの頃からだろうな
そうか単純だったな
角はあずけるもんじゃないな
さてどこへ行こうかしら
世界は広大だわ

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