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『方法序説』を読んだ

2021/4/1、家にて読了。

今日古本屋で見かけるまで、岩波文庫が『方法序説』のワイド版を出していたとは知らなかった。小説ならいざ知らず、哲学の古典を小さい文字で書かれると、本を手に取るまでの精神的なハードルが上がってしまう。ゼミで政治思想・哲学を扱っているというだけだが、仮にも哲学徒であるぼくにとってこうした試みは嬉しい。文字が大きくなったからといって内容が簡単になるわけはないのだが、谷川多佳子のやわらかい訳文と100頁ちょっとという薄さのおかげで、かなり快適に読むことができた。

法学や医学といった種々の学問を修めた後、明証・分析・総合・枚挙という4つの規則に従い自分の思想をストイックに再構築することを、23歳の時には既に実行していたとデカルトは書いている。23歳!読んでいて思わず椅子の上でのけぞってしまったが、学問に真摯なこうした姿勢を執筆時の41歳まで(そして人生の終わりまで)継続しているというのだから頭が下がる。

倫理の教科書では「心身二元論」の一言で済まされていたものを、「我思う、故に我あり(Cogito, ergo sum.)」に代表される実体性に絡めて、デカルトの言葉で説明してもらえたのは有意義だった。また、理性という観点における動物と人間の違いの概念を、モンテーニュから批判的に継承しているのがみてとれた。

面白いのは、前述の4つの規則を用いて自分の常識を疑っている最中に、現実生活をどのように送るべきかという「道徳(モラル)」について言及があることだ。自分の信ずる真理のみを遂行していたら現実には対処しえないので、理性が不決断である間は「自分の国の法律と習慣に従うこと」をはじめとした極めて現実的な3つの道徳律に則ることをデカルトは提示する。同時代にガリレオが糾弾されていることを鑑みると、デカルトのほうがより現実主義者であるように思う。

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