死に方を選ぶことはできない

 去年の今頃、もう少し前だったか

いつものように庭仕事をしていた父。

「調子はどう?」のありきたりの問いに

「すこぶる調子がよか。この調子ならポックリいけそうじゃ。」

その時の眩しいぐらいの父の笑顔。眩しい五月晴れの陽光とともに今も忘れることができません。



ポックリいける、しかし父のその願いは叶いませんでした。



入院してから亡くなるまでかなり苦しみ続けました。

敗血症、肺炎、次から次へと新しい病気が父を襲いました。

我慢強く、元々楽天的だった父を

次から次へと打ちのめしました。

今もそのことを思うと辛すぎますし、

まだまだ詳しく書き綴る気持ちにはなれません。

誰がみても非常に良い人で、人格者だった父。

そんな人でもこんな最期を迎えるのか…。

良い行いは、良き死へと結びつかないのか。




そしてその時はっきりと思いました。



人は死に方を決めることはできないと。

当たり前のことなのです。

どんな悲惨な死に方をするかもしれないし、それは本人には知り得ないことなのだと。

その事実に改めて愕然とするとともに、

逆説的に

人は死に方を決めることはできないけれど

生き方は決めることができるのだと。


その事実を強く強く私の心に焼き付けてくれました。

今も常に思います。

人は死に方を決めることはできないけれど、

生き方を決めることはできると。

父からもらったもの、大切にしていくことの一つです。


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