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【夜にしがみついて、朝で溶かして】

クリープハイプの新しいアルバム「夜にしがみついて、朝で溶かして」が発売された。インタビューでも時々アルバムを作りますって話していたし、なんとなく今年出るんだろうな…と期待はしていたけれど、実際にアルバムが出ると発表された時は、嬉しい方のショックで身体がビリビリした。

当初、夫におそるおそる「あのね、特装盤には豪華な詩集が付いて、それも欲しいんだけど初回限定盤にはBlu-rayが…」なんて相談したら「いいよ、好きなだけ買いなよ」と笑われた。彼はクリープハイプには一切興味が無いけど、私がクリープハイプを好きなことにはとても理解がある。感謝しています。


そもそも今の時代にCDを買って聴くという行為はとても能動的なものだと思う。 店頭に買いに行く、あるいはネットであっても注文する行為に始まり、届いたものを受け取り、(おそるおそる)丁寧に開封し、CDを聴くときはプレーヤーにそのCDだけを入れて、そのCDに収録されている曲だけを聴く。ジャケットを眺めて歌詞カードを指でめくりながら、なにか、正座して向き合うような感覚がある。スマホでササッと再生するよりも少しだけ、時間と手間をかけて、心を傾けるちょっぴり「面倒な」作業を経て、再生された音楽は耳に心に身体に入ってくる。面倒だからこそ、こちらも真剣に聴く。それはとても豊かで贅沢な時間になる。

さらに、今回のアルバムは(前回もそうだったけど)CDケースや歌詞カード自体も洗練されたアート作品で、曲を聴きながら見て楽しめる、手触りを楽しめる、飾って楽しめる、宝物として大切にしたくなる要素でいっぱいだ。ああ、贅沢だなあ…。
そのうちに溢れ出してきた気持ちは、今は便利な世の中で、ネットに書き込めば誰かが共感してくれたりする。

そうしてCDがくれる贅沢を反芻していたら、クリープハイプからライナーノーツの企画が発表された。
アルバムの曲たちに思いを巡らせ、じっくりと味わった上に今度はライナーノーツに頭を悩ませるなんて…!
想像を超えた「CDを楽しむ贅沢」の最上級の形が提供された。



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①【料理】

2021年3月3日。コロナ禍になってから初めて行ったクリープハイプのライブは、独特の緊張感と高揚感に包まれていた。この時期はライブを感染経路と見る空気もまだ濃くて、地元の両親にも周りの友達にも秘密にしてライブに参加した。

その日初めて披露された新曲が「料理」だった。目の前を通り過ぎた車の型やナンバーを尋ねられても答えられないのと同じように、その時はこの曲がまだ掴めなかった。
数日後テレビ番組で曲の一部が流れた。
数カ月後、アルバム発売を前に雑誌に手書きの歌詞が掲載された。いきなり冒頭から「愛」と「平和」の2大巨頭ワードが煮しめられていて度肝を抜かれたけど、「眠くなってすぐに 二人で横になった」というフレーズで終わるのが、可愛くて好きだと思った。
その後ラジオで解禁され、配信リリースされて全貌を現した料理をしっかり噛み締めたとき、頭の中はギターを弾きながらステップを踏む小川くんでいっぱいに…。早くライブでこの曲が聴きたい!



②【ポリコ】

タイトルが意味するポリティカル・コレクトネスという言葉を、恥ずかしながら最近まで知らなかった。でも、それの存在は以前から感じていた。それを使って誰かを攻撃したり糾弾したりする空気。それによって言葉が制限されたり、言いたいことが言えなくなる空気。その閉塞感にザックリ切り込むこの曲が好きだ。

アニメ「ハイパーポジティブよごれモン」の主題歌として一部分だけを何度も聴いていて、かわいらしくてポップな印象だったけれど、曲全体を通して聴いたらその印象が豪快にひっくり返された。尾崎さんの巻き舌と高音が冴える切れ味の鋭さ、敢えて使われる毒を含んだ言葉が堪らなく心地良い。



③【二人の間】

アルバム収録曲のタイトルが発表されたとき「二人の間」のことは「ふたりのあいだ」というバラードだと勝手に想像していた。けれど、実はお笑いコンビ・ダイアンに書き下ろされた「ふたりのま」でした。もうそれだけで、やられた!感があるのに、実際に曲を聴いたらさらにやられた。癖になるメロディにがっつり掴まれて、脳内で無限にリピートされる「そのままで 」「そのままで」「そのままで」「そのままで」。

ダイアンの公式You Tubeにアップされたレコーディングの様子、ダイアンのMV、対談も併せて味わうと曲の随所に溢れる尾崎さんのダイアン愛でこちらまで心が満たされて、幸せな気持ちで一杯になれる。



④【四季】

拓さんの力強いドラムにドキドキしながら、曲が始まる。4曲目にしたのは“四”のつく曲だからというのもちょっとある…とインタビューで読んでクスッとしたけれど、そんな遊び心も今のクリープハイプの気分を表しているのかな、と感じた。

決してドラマチックに盛り上がる訳ではないけれど、ただ隣にいてくれて、フワッと温かい涙が滲む。この曲のMVでメンバー四人が自転車を漕いでいる姿がとても好きで、思い出しつつ自分も自転車を漕ぎながら口ずさんで、ホッとする。

優しくてキレイな歌だけれど、歌詞に「ダサい」「エロい」なんて言葉も入っていて、生身の人の温度のようなものに触れられる気がする。それに、バンドを布団に例える歌詞なんて、絶対に他ではお目にかかれない。これは凄い。



⑤【愛す】

低音の優しい歌声が耳に馴染んで聴くたびにキュンとする大好きな曲。後に、極力歌い方の癖を消したと聞いてなるほどと思ったけれど、初めて聴いた時は「えっ?クリープハイプじゃないみたい」と面食らう部分もあって、思わず全くファンではない友人に「どう思う?」と尋ねてしまった。すると「いや、めっちゃクリープハイプだと思う」と言われて妙に安心したことを覚えている。(外から見たら、こんなに新しいクリープハイプも、ちゃんとクリープハイプなんだな。)

それにしても、こんな風に優しくて温かい「ブス」は聞いたことがない。言葉は単語そのものだけでなく、それが使われる文脈とか伝える相手との関係性、発するときの声色で大いに意味が変わる。この曲でそれに実感が伴った。



⑥【しょうもな】

人生を野球になぞらえて悩みを打破していくドラマ「八月は夜のバッティングセンターで。」の主題歌。

これでもかと韻を踏み、言葉遊びを展開した上で、疾走するサビへ。怒涛の展開に圧倒される。

曲をろくに聴きもしないで、文章を最初から最後まで読みもしないで、表面的に一部の言葉だけ切り取って批判するような動きに対する痛烈なパンチ。でもあるけれど、それだけじゃない。何より聴いている一人の人間に対して、つまり私に対して「お前だけに用がある」と言ってくれる歌詞が本当に嬉しくてグッと来る。クリープハイプへの想いが強ければ強いほど強く喜びを感じる、頼もしくて愛しい言葉だと思う。



⑦【一生に一度愛してるよ】

そもそも、初期の気分のときは初期のものを、今の気分のときは今のものを。音楽作品はずっと残るもので、聴く側がいくらでもその都度選べるもの。時間の経過とともに選択肢がより豊かに増えているだけ。
…と、割り切れないのは、作品そのものだけじゃなくて「人」を好きだからだろうな、と感じる。「人」を聴いているから、癒やされたり胸が苦しくなったり、時には不満も持つのだと思う。独りよがりの期待もしてしまう。

だから、バンドに尖ったままでいてほしいのも、恋人に優しいままでいてほしいのも、矛盾してるようで矛盾してない。

それでも、ファーストの感じを今のバンドに求めるのは「シワが無かった頃の顔が好きだから、整形でシワ取ってほしいな 」と他人に求めるのと同じくらい無意味なことだ(本人が望んでそうするのは良いと思うけど)。

この曲の歌詞を読みながら、何度もニヤリとさせられる。過去も捨てないで、でもこんなに前を見て進化を続ける音楽と共に過ごせる喜びはそう無いはず。これからもかっこいいシワを増やしていって下さい。死ぬまで一生愛します。



⑧【ニガツノナミダ】

ソフトバンクのCMのために書き下ろされたこともあり、「SNS」とか「Wi-Fi」など、クリープハイプにしては珍しい単語が並ぶ。…ことは正直、微塵も気にならなかった。

それより楽曲そのものの、いきなりトップギアで飛ばす感じに打ちのめされてキャーッと興奮した。CM曲だからこその制約を逆手に取って、こんなかっこいい、痛快な曲にしてしまうなんて。

でも後々「しばられるな にしばられてる」という歌詞にはハッとさせられた。自分もそんな風に、人からの言葉や、時には自分自身の思い込みにしばられてる瞬間がある。



⑨【ナイトオンザプラネット】

2021年9月8日に行われたライブ「クリープハイプの日2021(仮)」にて、ニューアルバムの発売が発表された。アルバムタイトルは、この曲のサビの言葉「夜にしがみついて、朝で溶かして」。今まで聴いたことのない新しいクリープハイプで驚いたし、プワプワとしたイントロ、心地良い低音のメロディ、ジャズのようなピアノ、ラップのような語り…様々な要素が溶け合って心地良い。すごくかっこよくて、すごく甘い。

この曲は、現在進行形の熱い想いとか、忘れられない切実な気持ちとかではなくて、もっと言葉にできない些細な感覚を歌っている。
曲中に「いつの間にかママになってた」というフレーズがあって、それには本当に鳥肌が立った。自分も子供が生まれてから、日々を無我夢中で過ごして、まさにアニメを見ているような何気ない瞬間に「ああ、自分はママになったんだな」と、ふと思うけど、それが強烈に嬉しいとか悲しいという事ではない。本当にふと思った、という感覚で、そこからまた日常は続いて行く。それがそのままの温度で歌詞になっていた。



⑩【しらす】

ライブ「尾崎世界観の日」で披露された、カオナシくんの曲。かわいい振り付けの付いたこの曲には、カオナシ色がはっきりと出ていた。童謡のようなシンプルなメロディと歌詞で、息子がすぐに覚えて歌っている。
「しらすのお目目は天の川」という言葉には無数の命の輝きが見えるし、頂いたその無数の命が身体の中を流れる神秘的なイメージに包まれる。命への感謝と畏敬を感じさせる神聖なムードもありつつ、親しみやすいのはバンドだからこそなのかも知れない。

とても個性的な曲だけど、アルバムの中に他の曲とともに「しらす」が違和感なく並んでいることが、このアルバムの豊かさをそのまま表してもいると思う。



⑪【なんか出てきちゃってる】

クリープハイプに1ミリも興味がない夫が、アルバムを流していたら不意に「この曲いいね」と言った。ファンではない、興味がない人の「いいね」はとても嬉しい。

独特の浮遊感があって、「偶然ネジがゆるんじゃって」というフレーズに重なるように、2人の尾崎さんが会話をしている。(私の中では破花のMVみたいなイメージ)それを、液体の中にいるみたいに、音に全身を委ねてプカプカしながら聴いている。いくらでも聴いていられるけど、緩んだネジの隙間から何が出ちゃってるのかはずっと分からない。

そして印象的なのは「今『お前』って言っちゃいけないんだけどさ、お前にだけは『お前』って言うね」という言葉。たしかに今は、親しみを込めて言う『お前』と、例えばお店で客が店員に「お前の接客はなってない!」などと怒鳴り散らすときの『お前』が同列で批判されかねない世の中で、こうして注釈を付けないと誰かに攻撃されてしまうかもしれない。「ポリコ」や「しょうもな」にもつながるこのシニカルな感じ。



⑫【キケンナアソビ】

初めて聴いたのはテレビのお笑い番組「ウケメン」のエンディングだった。オシャレな曲だな、という印象が強かったけど、ライブで聴いたら不穏さが際立っていて、聴くたびにどんどん聴こえ方が変わっていった。虚しさ、哀しさ、諦めのようなものがグルグル渦巻いてくる。

この曲を「エロい」の一言で片付けてしまう人もいるけれど、私はこの曲を、そしてクリープハイプのことを簡単に「エロい」と言いたくない。もっと複雑な醍醐味があるのに、もったいないな…と感じる。
性的な要素というのは、なかなか堂々とは言えないけど、人として当たり前に存在するもの。だからこそ想像力を掻き立てられるし、聴く個人それぞれの感情と地続きになるんだと思う。



⑬【モノマネ】

映画「どうにかなる日々」の主題歌であり、「ボーイズENDガールズ」の続編とも言える曲。
ごく個人的に「ボーイズENDガールズ」の2人は気持ちのバランスが恐ろしく釣り合ってなくて、片方だけが一方的に相手を好きなカップル…という勝手な想像をしていた。だから「モノマネ」で2人が別れたことには驚かなかった。…なんて考えるくらい、どちらも自然と目の前に物語が広がるような曲。

相手の気持ちに気付けなくて、寄り添えてなかったと知るのは失ってから。それをモノマネというモチーフで表現した歌詞は天才的で、素直に凄いと思う。畳み掛けるメロディが気持ち良くて、何度も聴きたくなる。



⑭【幽霊失格】

タイトルを見たときに「好きになれるかな………」と不安になった曲。だって幽霊こわい。曲のタイトルに幽霊入れる??と思った。でも、別れた恋人への未練こそが幽霊だった。これはとてつもなく切ないラブソングだった。サビの押し寄せるような高まるようなあの感じが、本当に好きだ。

ちなみに、最初に歌詞を読んだ時は、歌詞に「座って用を足す癖」とか入れる??と驚いた。けれどクリープハイプでしか味わえないリアルな生活感と情けなさに満ちていて、むしろここが好き、と感じている。それは「モノマネ」も同じで、「シャンプー」「リンス」や「石鹸」(小さくなるから固形のもの)が歌詞に出てくることで、生活感が生身の人間の切実な感情に見事に繋がって、生々しい切なさに包まれる。



⑮【こんなに悲しいのに腹が鳴る】

「しょうもな」と同じドラマのエンディングで流れていた曲。なんとなく、この曲にドラマの先入観のようなものを付けたくなくて、エンディングが流れる時はボリュームを下げていた。だからCDを買って初めてフルで聴いた時に、イントロを聴いてもピンと来なかった。それどころか、あれ?違うCD再生してる?と謎の勘違いをしたくらい、最初はクリープハイプの音には聴こえなかった。音楽的な知識がなくて説明できないけど、今までのクリープハイプと違う何かがあるように感じた。でも見当違いだったら恥ずかしい。

染み込むようなメロディ。優しくて包まれるような歌声で、でも巻き舌で毒づいていて、それが何故かとても愛しい。悲しいのに腹が鳴る、食べたい、生きたい。そう歌う言葉に「そうだな、そういうもんだよな」と静かに腑に落ちる。この"腑に落ちる"感覚はクリープハイプの曲でしか得られない。生きている恥ずかしさも悲しさも消えはしないけど、ただ腑に落ちて、そのままで行こうかな…と思えるから、クリープハイプが好きだ。


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振り返ると「モノマネ」は2020年10月に、幽霊失格はそれより少し早い9月にそれぞれ配信リリースされた。

2020年はコロナ禍に突入した年でもあり、先の見えない不安で社会全体が混沌として、何をするにも恐る恐るで手探りだった。クリープハイプも10周年ツアーが延期となり、後に中止となった。音楽業界の人はもちろん相当な苦労があったと思うけれど、音楽ファンの間にもそれはそれはドンヨリとした悲壮感が漂っていた。あの頃は「クリープハイプが無くなったらどうしよう」と本当に不安で、ただ存在してくれれば良い、ただクリープハイプに居てほしいと願っていた。

そんな中で4月28日に1度だけ、FM802で「モノマネ」がオンエアされた。当時はリリース予定も何も決まっていなくて、でもこの1度のオンエアで"心が揺さぶられる経験"が久しぶりにできて、幸せだった。

「幽霊失格」はずっと動いていなかった尾崎さんのTwitterアカウントが突然呟いて大騒ぎになるところから始まり、曲より先に歌詞が公開されて貪るように繰り返し読んだし、当時よく行われた「無観客ライブ」の逆を突いた「無演者ライブ」で披露されて配信リリースを迎えるなど、斬新な形で提示されるこの新曲に驚きっぱなしで、だんだんと悲壮感は息を潜めて、希望とか喜び、素直にワクワクする気持ちが持てるようになってきた気がする。

それでも、クリープハイプにただ居てほしいと願ったあの時に自分の中に強く刻みつけられた、クリープハイプの音楽を大切に大切に聴きたいという気持ちは、今もこの先も変わらないと思っている。

もちろん、そんな私の耳はとても偏っている。自分には「クリープハイプ大好き」のフィルターがあって、もうそれを通してしか聴けないのも事実だ。

ライナーノーツを書こうと思った時に、もしかして公平な目線が必要なのかな、公平な目線で見たときこのアルバムはどうなのだろう?と考えた。先入観がなかったらどうだろう?称賛だけじゃなく、足りないところはこうだ!と言えたほうが良いんじゃないか。自分の感動を一生懸命引き算してみたけど、全然分からない。その分、ファンじゃない人の意見が聞いてみたくなる。

だけどやっぱり、音楽は聴く人の数だけその人のフィルターがあるんだろうなとも思う。自分は自分フィルターを通して聴いて、感じるしかない。フラットなライナーノーツは早々に諦めた。

ただ、ひとつだけ不満を言うならば、初回盤の特典Blu-rayで映し出されるお客さんがほぼ全員、読者モデルみたいな若くてかわいい女子ばかりだった。クリープハイプのお客さんって、もっとバラエティ豊かでいろんな人がいるはずなのにな、ちょっぴりつまらないな、とは思った。(小声) 

ほんとうに個人的な感想ばかりになったけど、それが幸せなんだ…だってこんなに好きなんだから。

このアルバムは「やっぱり死ぬまで一生愛したいな」と思わせてくれるアルバムだった。


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#クリープハイプ
#夜に朝で

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