メルロー=ポンティ まとめ

なぜ身体を哲学するのか

科学に対して否定的
主著【知覚の現象学】
『科学は二次的な表現である』
科学は知覚された世界の一つの規定でしかない

ドイツ観念論をはじめ、哲学者は精神を重要視
→精神を生み出す知覚を司るのは身体
 無視するのは整合性が取れていない

メルロー=ポンティはフッサールの現象学にも批判
現象学的還元により人間の純粋意識を捉えるのは不可能

知覚は知覚の瞬間に意識を介在させてしまう為
純粋な知覚を捉えることはできない

例)日本人が虹を見ると7色
  台湾原住民であるブヌン族などで虹は3色

視覚の機能が違うのではなく
そのように信じられているから実際にそう見えている

ハイデガーが触れた『時間性』
共同体による時間の影響
過去から流れる情報の繋がりにより
各々の先入意識が構成

意識は知覚の瞬間、本人の意図せず作用
原初の体験に含まれてしまう
→純粋意識を捉えることはできない

両義的な存在

幻覚肢の研究
四肢を失った人が
ないはずの身体の一部に感覚がある

痛みや感覚は外的要因で発生しているわけではなく
『精神』が引き起こしている
身体とは外部(客観)であり内部(主観)でもある

【両義的な存在】
精神と世界とを繋ぐ媒介。身体のこと。

主観と客観が同一のもの

例)自分の左手で、自分の右手を『掴んだ』とき
『掴んでいる』という主観と『掴まれている』という客観が同時に存在

何かを見ているとき見ている対象から見られている
このような関係性が知覚すべてにおいて成り立つ

時間性の観点から考えると
ある共同体において、その時間性をもった自分が何かを見ることは
言い換えるとその共同体が自分を通してものを見ているとも表現できる
→主観と客観が分離できない

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