小林秀雄の「花」とイデア
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小林秀雄の『美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない』はイデア論批判として読むことができるだろう。
混乱していた当時のギリシャにおいてはもはや非言語的なコミュニケーションは困難となり、前後の文脈を無視した記号的なものを用いるしかなくなった。
プラトンは文脈に左右されない、記号としてのイデアによってコミュニケーションを図ったわけだが、この文脈の消滅と記号の台頭は脱コード化された後期近代と共通する傾向と言えよう。
小林にとっての「ある」つまり存在はプラトンと異なり、肉体的なものに根拠づけられた確かな実感だったのだ。
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