ショーペンハウアー まとめ(随時更新)

表象

『意志と表象としての世界』
世界は人間の意志と表象である

『世界は人間の表象である』…カントの【現象界】と類似
視覚やその他感覚器官で受け取った情報を 人間特有の時間的、空間的な認識方法で処理、対象を把握
ショーペンハウアーは この世界の一方の側面は表象

博士論文『根拠の原理の4つの根について』
人間固有の認識方法についての研究

私が死んだとして、 私が表象していた世界は消えてなくなる
ただし物自体は消えずに残る
カント:物自体を理解することはできない
ショーペンハウアー:物自体は『意志』

意志とイデア

世界の表象を徹底的に観察することにより、 【物自体】の本質を探ろうとする
世界のあらゆる表象は絶え間ない努力を続けている
その努力の目的は【生きること】に終始している

『物自体とは【生への盲目的な意志】ではないか』
この意志があらゆる生命現象と物理現象の背後で働いて 物質においてはそれが客体化されている
【物自体】=【意志】、 その意志が表象として現れたものを我々は世界として認識している

意志が表象として私たちの前に姿を表す際には 段階がある
ショーペンハウアーはこの段階を【イデア】として表現(プラトンのイデアとは異なる)

自然法則などは【低位のイデア】
 例)重力は『落下』の意志
低位のイデアほどその意志が剥き出しになっている。同時に重力に種類や個性はない

植物は自然法則よりは高位のイデア
低位のイデアである自然法則が複雑に絡み合う必要がある
→植物は自然法則よりも意志を感じるのが難しい
自然法則ではあり得なかった【個性】が植物には現れる

さらに高位のイデアとしての動物
動物は植物よりもさらに様々な低位のイデアが絡み合っており、意志の滲み出し方もわかりづらくなっている
同時に、植物には存在しなかった【性格】が現れる

最上位のイデアが人間
人間は様々な低位のイデアを含み込んでおり、【理性】が現れる。
理性は『観念を想像する』力を持つ…過去や未来、ここではないどこか、他者などの想像が可能
→自己犠牲など、他の存在では考えられない『本能に背いた行動』をすることが
それだけに『生への盲目的な意志』が見えづらい

それぞれの意思は無根拠に闘争を繰り返す
長い闘争の中では、低位のイデアが高位のイデアに勝つことがある→死
高位のイデアである人間が、低位のイデアである自然法則や生物などに負け 、最後には低位のイデアである物質に還っていく

個体レベルでは高位のイデアと低位のイデアの逆転現象が起こる
全体で見れば、常に高位のイデアはより高みに登ろうと努力を続け 、時間をかければ、さらに高位のイデアになっていくと考えられる

この前提から彼は『生き方』について言及『生きるのは苦痛』
その苦痛から脱却するためには 『生への盲目的な意志』を否定しなければならない

ペシミズム

意志の性質は【根拠も目的もなく、無際限なもの】
その意志が複雑に絡み合った形で客体化されている人間は、 まさに生への盲目的な意志に満たされている
そのことから『人生は苦痛である』という結論が導き出される

人間は、生きたいという意志を満たせない苦痛と、 それを満たした退屈による苦痛を 振り子のように揺れ動く存在
人生の一切は苦痛
ではどのように生きることでその苦痛から開放されるのか
プラトン:芸術はイデアを曲解して広める存在だとして否定的
ショーペンハウアー: 音楽や芸術にはイデアが宿る。それなりに肯定的

芸術はイデアを直観できるものだから、それに触れている間は 確かに苦痛から逃れられるかもしれない
しかしそれは一時的なものであり、根本の解決にはつながらない

他者への共感
私の今の苦痛を根本的に 消し去ってくれるものではない

『禁欲』にこそ解決の糸口がある
禁じるべき欲は『生への盲目的な意志』が持つ欲求
生への欲求を捨て去ってしまえば 、欲求と退屈の振り子運動が止まる

『意志が欲望として盲目的に自分に作用している』と 【哲学的に理解すること】によって、 意志と、それと同時にその表象も消え去り、当然世界への執着もなくなり 苦痛から完全に脱却することができる

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