デカルト まとめ

スコラ学的世界観への対抗者

『方法序説』

提示した原則
1、私が明証的に真理であると認めるものでなければ、いかなる事柄でもこれを真なりとして認めないこと
2、検討しようとする難問をよりよく理解するために、多数の小部分に分割すること
3、もっとも単純なものからもっとも複雑なものの認識へと至り、先後のない事物の間に秩序を仮定すること
4、最後に完全な列挙と、広範な再検討をすること

【方法的懐疑】
誰もが真理と納得できるもの=誰も疑いようのないもの
全てのものについて疑ってみる

【疑っている自分】だけは確かなもの
→【我思う、故に我あり】

確実に存在している自分が認識するものは確実に存在する。
→今まで懐疑の目を向けていたものを認める
→その前提の元、Godの存在証明

我々は様々な観念を持っているが、その中にGodという観念がある
Godは『無限な存在』だが、有限から無限は生じないのだから
有限な存在である人間から『無限な存在』という観念は生まれない
であるならば、Godという観念は人間以外のところから生じたと言うしかない
Godが存在していたからこそ『無限な存在』という観念が生じている
『Godが私を作ったのだから、私の認識はすべて正しいに決まっている』

【情念論】

【心身二元論】で感情について説明を試みる

当時、人間の死は精神の不在だと考えられていた
→デカルト「人間の死は単に身体が壊れただけ」

心臓には炎のような熱がある
その熱が作用することで、全身に血が巡る
血が脳に向かって流れるとき、血の細微な部分【動物精気】だけが細い血管をくぐり抜け脳の中を満たす
動物精気が体中に作用することで、
身体の様々な運動が引き起こされる

【能動と受動】

精神の能動→【意志】
大きく二種類に分けられる
・『精神のみで完結する能動』
 神を思うとか、哲学するetc
・『身体に命令を出す能動』
 精神が身体に命令を出し身体がそれを受動的に受け取るもの

脳の【松果体】という部位を【心の座】と表現、身体と精神の交わるところと考える

精神の受動にも2つの種類
・精神の知覚
 『精神のみで完結する能動』を受動的に知覚したもの
 前者とおなじもの
・身体を起因とした精神の受動
 いわゆる感覚・知覚

身体を起因とした精神の受動は3種類
『五感を原因とするもの』
『痛みなど身体の内部で発生するもの』
『恐れや愛など、それ以外の感覚』
最後の感覚を【情念】と呼ぶ

情念の構成要素は『驚き』『愛』『憎しみ』『欲望』『喜び』『悲しみ』の6つ
これらが派生したり結合したりすることで様々な感情が生み出される
また、精神と身体の関係性についても触れる

古くから情念はマイナスなイメージで捉えられた
例)ストア派哲学
創始者ゼノンは情念(パトス)や情動を克服して【アパテイア】(無情念)へと至る道を説く

【情念論】は情念を肯定的に捉える

情念は意志の力でどうこうできるものではない
情念が引き起こされるプロセスをよく知り
理性の善悪に従う、つまり徳に従うことで
情念は善いものになる

情念論の結び
「情念に最も動かされる人間は、人生において最もよく心地よさを味わうことができる」

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