西田幾多郎 まとめ(随時更新)

前期

前期西田哲学のキーワード【純粋経験】

西洋哲学的な『経験』の解釈
『私』という主観と『世界』という客観が明確に分離
『私(主観)』が『世界(客観)』を感じることで『経験』が発生

西田はこれを批判
『私(主観)』と『世界(客観)』は【純粋経験】を推察した結果に過ぎない

対象に集中するという経験が発生している時
主観と客観が一体の状態…【主客未分】
主観と客観の分離を意識していない
【没頭】…主観と客観が入り混じった状態

主客未分状態においての経験【純粋経験】
【純粋経験】を推察することによって主観と客観の関係性が現れる。
【純粋経験】≒【空】

【純粋経験】こそがこの世に実在する唯一のもの
【純粋経験】は【善】の経験
【純粋経験】に至ることで人格の実現がなされる

【善】の実現=【純粋経験】である没頭状態の実現には
【意志】【感情】【知性】が一体になる必要

行動が意志
行動によって得た知識や能力が知性
これらの要素が一体となった状態を【善】と呼ぶ

後期

【純粋経験】をさらに理論化
この世の根源は【絶対無】
【絶対無】は【述語の論理】で説明されることが多い

例)『これはりんごである』
  『これは』が主語
  『りんごである』が述語

『りんご』という述語が主語に変化
『果物』という新しい述語が出てきた

『果物は植物』、『植物は有機物』、『有機物は…』
述語を包括する更に大きな述語が無数に存在
この終着点が【無限大の熟語】

無限大の熟語はあらゆる全ての熟語を包括
『〜である』という述語がそれぞれ矛盾を孕むことなく存在
この場所のことを【絶対無の場所】と表現

我々が見ているこの世界は意識の中に存在
表出された世界は【自然界(有(う)の場所)】

その世界を作っている意識【意識界(相対無の場所)】
意識界は意志・感情・知性で構成
意志が感情を生み、感情が知性を生み、知性が自然界を生む

意識界を生む概念【叡智界】
叡智界の根底には道徳があり、その上に価値観や美意識が存在

叡智界はプラトンの【イデア】に類似
対象の背後、イデア界の『本当の〇〇』が認識を可能にしている
イデアの中でも最高のものが【善のイデア(道徳)】

カント【英知界】とも類似
人間が理解できる範囲と理解できない【物自体】を明確に線引きし、
物自体が存在する【英知界】の諸問題に関しては
道徳法則を対応することで解決するしかない

叡智界を生んでいるのが【絶対無】

絶対無の場所においては、善も悪も、美しいも醜いも、幸も不幸も、
全く区別のない絶対的な無しか存在しない
ここから全ての要素が生まれる
…空即是色

【絶対矛盾的自己同一】
一切は根底で絶対無として繋がっているのだから
自然界で表出するあらゆる矛盾は、相互作用の結果全て解決できる

【純粋経験】は
この構造を一気に飛び越して絶対無の場所の経験をしている

絶対無の場所を体験することによって
自身もまた無であることを認識、それによって真の自己が実現できる
…【解脱】と同じ

そのためには、まず意識界を磨くことが必要
やるべきことに打ち込み知性や感情を磨く

没頭を続けると自分の価値観や道徳心と
向き合わないといけない瞬間がやってくる
そこで自身の道徳に従えない弱さなどと向き合うことで
最終最後、絶対無と出会うことができる

キルケゴールの実存の三段階と類似
【美的実存】
快楽や美を求め無限の可能性に浸って感覚的に生きる
やりたいことに没頭する意識界の段階と類似

【倫理的実存】
倫理観や正義感に基づき自己実現をはかる
普遍的な倫理を実現できず、絶望に襲われる

【宗教的実存】
絶望を認識しつつ、神と一対一で向き合うことで真の実存を手に入れる

西田哲学を批判した田辺元は
【絶対無】を神だと解釈
絶対無の概念は和辻哲郎や九鬼周造へ影響

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