ニーチェ まとめ(随時更新)
キリスト教批判
キリスト教道徳を「奴隷道徳」と表現
キリスト教が教えてきたことは、弱者を正当化させる詭弁であり妄想でしかない
『貧しいものは幸せである』『富めるものは天国に行くのが難しい』
強者に虐げられた弱者がその現実を受け入れられないがために正当化した想像上の復讐の物語
キリスト教はいわば象徴であって、
科学技術の進歩に対する信仰、
さらには民主主義、社会主義、国家主義など、
ヨーロッパで信じられてきたこれまでの最高価値はすべて
「キリスト教的なもの」であった、とニーチェは考える
ルサンチマン
ルサンチマンの根っこにあるのは、
自分の苦しみをどうすることもできない無力感と、
絶対認めたくないけれども、
どうすることもできないという怒りの歯ぎしり
この無力からする怒りを何かにぶつけることで
紛らわそうとする心の動きが起こる、これがルサンチマン
悦びを求め悦びに向かって生きていく力を弱めてしまうことがまず問題
「この人生を自分はこう生きよう」という、
自分として主体的に生きる力を失わせてしまうことが二つ目の問題
ニヒリズム
ルサンチマンこそがキリスト教、
すなわちヨーロッパの文化のすべての基礎となっているGod
を生み出した
このルサンチマンから生まれた文化は、なんら創造性を持たない
このような事態をニーチェは「ニヒリズム」 という言葉で呼んだ
それは 「至高の諸価値がその価値を剥奪されること」
「至高の価値」の典型はGodだが、
ほかにも、進歩主義、社会主義、ナショナリズム、
あるいは、社会や人類などたくさんのことを含めて考えることができる。
言い換えると、 「そのために人間が生きようとする "理念”」のこと
末人
…「憧れを持たず、安楽を第一とする人」
Godが死んだニヒリズムの世界では、憧れや創造性を抱くことなく、
安全で無難に生きることだけを求める人間がでてくるであろう
愛も憧れも創造も知らず、健康に気を配り、
労働も慰みの程度に必要とし、
平等で貧しくも富んでもおらず、わずらわしいことはすべて避ける
安楽を唯一の価値とする人間たち
無への意志
ニーチェ曰く、ニヒリズムの本質
そもそも最高価値を立てること自体が誤っており、
深い意味ではそれもまたニヒリズム
キリスト教には天国という苦しみのない世界があり
その状態こそが最高とされている
ニーチェはこれらの安楽状態を求める欲望の背後にあるのは
〈無への意志〉であるという
すべての苦がなくなり静けさのなかで憩うこと、
つまり「無」を望んでいる
これまでのキリスト教やバラモン教や仏教の背後にある意志は、
疲労して休もうとする意志、
何も創造せずひたすら安楽になろうとする意志にすぎない
民主主義や社会主義も
創造性をめざすのではなく「安楽状態」をつくろうとしている点で
それらはキリスト教と同じ穴の狢
強烈な近代への批判
近代は、民主主義、社会主義、科学技術の発展を生んだ
それらの価値は結局 安楽 を目指しており、創造性がない
超人
Godに代わる新たな人類の目標・高揚感と創造性の化身
「超人のために没落せよ」 と説くが、超人についての具体的な説明を一切していない
→超人自体が道徳になりかねないため
「人間は、動物と超人との間に張り渡された一本の綱なのだ」
「三段の変化」
精神が超人になっていくプロセスを三段階で描いたもの
①ラクダ
自ら求めて重い荷物を担おうとする
大変であればあるほどそれを進んで担い
そうすることで自分の強さを感じ喜びたい
このような「忍耐強い精神」のこと
②獅子
荒涼たる砂漠のなかで第二の変化が起こり
巨大な竜である「汝なすべし」と闘う
対する獅子の精神は「われ欲す」 と答える
獅子は「否定」 の精神
既存の価値と闘ってそれを打ち砕く
③幼子
超人は幼子のイメージ
幼子は無垢であって
「一つの聖なる肯定」「一つの創造の遊戯」
もはや否定する必要はなく、
自分から溢れ出てくる創造力に身をゆだねている
永劫回帰
宇宙万物は永遠に円環運動を繰り返している
だからこの世界には意味や目的はなく、虚無なる生の繰り返し
これを肯定できるのが超人
「もしある日またはある夜、デーモンがあなたの最もさびしい孤独のなかにまで忍び寄り、こういったらどうだろうか。『おまえは、おまえが現に生き、これまで生きてきたこの人生をもう一度、さらに無限に繰り返し生きねばならないだろう。そこには何一つ新しいものはなく、あらゆる苦痛と快楽、あらゆる思念とため息、おまえの人生のありとあらゆるものが細大漏らさず、しかもそのままの順序でもどってくる。(中略)この思想があなたを支配するとしたら、それはこれまでのあなたを変貌させ、ひょっとしたら打ち砕くかもしれない。何ごとにつけても、『おまえはこのことをもう一度、さらに無限に繰り返して、 欲するか』という問いが、最大の重しとなってあなたの行動のうえにのしかかるだろう!あるいは、この最終的な永遠の確認と封印より以上に何物も欲しないためには、どれほどあなたは自分自身と人生を愛さねばならないだろうか?」(『悦ばしき知』)
ニーチェはのちに残した断片のなかで、
「永遠回帰の思想はニヒリズムを徹底する」
という意味のことを記している
永劫回帰は「過去の最悪のことすべてがそのまま蘇ってくる。だからおまえは過去を否定することなどできない」 と突きつけてくる
ニーチェは、永劫回帰を受け入れることができるかどうかが、人間を弱者と強者に振り分ける肝心要の点だと考えた。
永劫回帰を受け入れられる人こそが強者であり「超人」 になりうる
永劫回帰の主な解釈
①ゲオルグ・ジンメルが強調したもの
永劫回帰の肝心は
「たとえ無限に繰り返されようとも決して後悔せず
自分が一番納得できることを行為せよ」という点
②『ツァラトゥストラ』ではより強調される
「人生のなかで一度でもほんとうに素晴らしいことがあって、
心から生きていてよかったと思えるならば、
もろもろの苦悩も引き連れてこの人生を
何度も繰り返すことを欲しうるだろう」
たった一度でも、素晴らしい「悦び」があれば、
生きることを肯定でき
何度でも人生を繰り返すことができるのではないか
「あなたがたはかつて一つの悦びに対して『然り』と肯定したことがあるか? おお、わたしの友人たちよ。もしそうだったら、あなたがたはまたすべての苦痛に対しても『然り』といったことになる。万物は鎖によって。糸によって、愛によって繋ぎ合わされているのだから」(『ツァラトゥストラ』第四部 「酔歌」)
永劫回帰の疑似科学的な説明
ある断片のなかで「疑似」自然科学的な体裁で説明している箇所がある
宇宙のなかのすべての物質とエネルギーが 完全に均衡して動きが止まり静止してしまう、という状態を想定
もしそんなことが起こるならば、
これまでに無限の時間が流れてきたのだから、
すでにその均衡状態は達成され
宇宙は静止してしまっているはず
しかし現在も宇宙は動き続けている以上、
均衡して動きが止まることは起こらないということになる
もし動きが止まらないのならば、
物質とエネルギーの状況は絶えず変動していることになるが、
そうやって宇宙の状態が絶えず変動するかぎり、
無限に近い時間の経過のなかでは、
宇宙は過去のある時点とまったく同じ
物質とエネルギーの状況に到達する
そうなれば、それ以降、まったく同じ歴史が繰り返されることになる。
ふたたび太陽系ができ、第三惑星の地球ができ、
生命が生まれ、人間が誕生し、我々も生まれることになるはず
ニーチェ「エネルギー保存の原理は永遠回帰を要請する」
この説明は 「フィクション」
あくまでも、それぞれの人が自分の生を肯定できるための新たな“物語”
これまでのキリスト教は「あの世の物語」を人々に与えてきた
「神は死んだ」わけだから、「あの世の物語」に代わって
ニーチェは生きることを肯定するための
新しい物語を提供しなければならない
永劫回帰は「たられば」を無効にする
他ならぬ自分の人生を「これでよし、もう一度」と
肯定するほうへ向かわせる
このような生の肯定のためにつくられた物語が「永劫回帰」
運命愛(amor fati)
マイナスも含め自分の人生を肯定でき、愛そうとすること
(ルターの考え方に類似
キリスト者は自由で何人にも従属しないが故に自発的に全ての人に奉仕し従属する。この従属の対象を運命に変えると運命愛に)
力への意志
『自分を肯定する力』『自分への確固たる自信』
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