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「おごる」という驕り

  食事にいくとき、男女間だったり仕事場の先輩後輩だったりで、おごるおごられるという関係があったりする。男女間の場合、確かに未だに賃金の格差があるわけだし、すべての場合とは言わないまでも、妥当な面があると思う。先輩後輩でもやっぱり稼いでいるお金は先輩の方が多い場合が少なくないわけで、これも否定しない。こういったおごるおごられる関係は判官贔屓の側面があって、私はいいものだと考えている。

 ただ問題は大学生の先輩後輩の場合である(大学生の男女間は論外)。もちろん、入学すぐの学生はお金を持っていないかもしれない。だが、単純に考えて、学年ごとの収入などさして変わらない。どちらかというと、親の援助によって、使えるお金の量は決まってくるように思う。であるならば、おごるおごられるという関係は単に不均衡生み出す構造になってしまう。

 さて、もうひとつおごるおごられることに妥当性をもたらすかもしれないことがある。それは「伝統」である。後輩の時に十分におごられたので、自分が先輩になっときはおごるという、継承という形を取れば、誰も損しない。この場合には、多少おごるおごられるという関係が認められる。

 結論をいうと、おごられたことのあるコミュニティとして食事にいくときはおごってもいいが、個人的に食事にいくときは、たとえそれがコミュニティ内の後輩であってもおごるべきではない。おごられるべきではない。

 そもそも実家に住んだり、親からの仕送りがあるのに、先輩だからとおごるのは、先輩ヅラしたい単なる驕りではないだろうか。

 それでもおごりたい、おごるべきだという人間がいたならば、馬鹿な奴がいたものだと、カモにすればいいと思う。



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