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八代亜紀か吉幾三か【ディレクターズカット版】

八代亜紀さんについての新聞コラムを見た。八代亜紀さんの『舟唄』を聴いた倉本聰さんは「要するにナイナイづくしの反対…。簡単なことなのにそれを思いつかないのがくやしいね」と語ったそうな。

ナイナイづくしと
ナイナイづくしの反対 ってなんだろう


「が いい」の八代亜紀

舟唄 (作詞 阿久悠)

お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な 人がいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい

しみじみ飲めば〜 おっと、歌いたい!

お酒も肴もそばにいる人も灯りも高望みしないよ。あるものでいいんだよ…という歌詞
そして2番では

店には飾りがないがいい
窓から港が 見えりゃいい
はやりの歌など なくていい
時々霧笛が 鳴ればいい

店のインテリアまでゆうてもろて…!

1番に引き続き、そこにあるものがいいんだよ…という歌詞。あるあるあるある。つまりナイナイづくしの反対である。実に持続可能な考え方、現代がもとめる未来志向だと言える。SDGsの何番かのゴールに当てはまるだろう。(適当)

じゃあ、ナイナイづくしはどんな歌か。わたしが考えたのはこれだ。

「が 無え」の吉幾三

俺ら東京さ行くだ (作詞 吉幾三)

テレビも無え ラジオも無え
車もそれほど走って無え
ピアノも無え バーも無え
お巡り毎日ぐーるぐる
朝起きて牛連れで
二時間ちょっとの散歩道
電話も無え ガスも無え
バスは一日一度来る

何にも無え!
まさにナイナイづくし!!

日本語初のラップだったんじゃないのか?として近年ふたたび注目を集めたこの楽曲は無いものにひたすら思いをはせる。上昇志向しかない。反骨心を持つロックミュージックだとも言えるだろう。そりゃ東京さ行くわ。

他にもきっとあるはずだ。
ナイナイづくしの反対 と ナイナイづくし


「ええねん」のウルフルズ

ええねん (作詞 トータス松本)

何も言わんでも ええねん
何もせんでも ええねん
笑いとばせば ええねん
好きにするのが ええねん
感じるだけで ええねん
気持ちよければ ええねん
それでええねん それで

もはや感情だけでいい!
お酒も肴もいらんよ…!
あなたがそこに存在するだけでいい、何かを感じるだけでいい。まさに正統進化八代亜紀である。

「何か足りない」のAdo

うっせえわ (作詞 syudou)

でも遊び足り ない 何か足り ない
困っちまうこれは誰かのせい

うっせえうっせえうっせえわ
頭の出来が違うので 問題は ナシ

マジヤバ ない? 止まれやし ない
不平不満垂れて成れの果て

これは令和のナイナイづくし!
吉幾三が環境や個人財の不十分さを訴えたのに対して、Adoは社会や周囲を取り巻く人間に対して「ない」自分を肯定しながら攻撃をしている。だから問題も「ナシ」なのだ。精神的ロックというか、精神的吉幾三だ。


八代亜紀か吉幾三か

結論は二人をあわせ持つことが幸せに生きていくためには必要であるということ。

八代亜紀(の舟唄)のように今ある物や環境に感謝しながら、持続可能な生活の日々を送っていくことが幸せを感じることになる。
一方で、吉幾三(の歌)のように環境や社会の体制に対して諦めるのではなく、より良いものをめざす、つかみ取ろうとする反骨的な精神を持つこと。それが新たな社会、自らの望んだ世界を作っていくことになる。

われわれは心の中に八代亜紀と吉幾三の二人をあわせ持つことがたいせつなのである。

君の心の中に八代亜紀はいるか? R.I.P.

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