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『劣化』する推しと向きあい続けることができるか

この文章の結論としては、ハードワークする推しは決して『劣化』することはなく、『深化』していく。そして、向き合い続けることはできる!というか、最後まで向き合わせてくれ!!というお話なのだけど、なんでこうなったかというと…


インディ・ジョーンズと運命のダイヤル(ネタバレはなし)

80歳のハリソン・フォードが再びインディ・ジョーンズとなった。映画のインディは初めは少し枯れている。人生の冒険を終え、引退のときが来ていた。冒頭に40代のインディの冒険があった(素晴らしいCGの技術はそれだけで観に行く価値あり!)だけに、その『老い』は残酷なほどに明確だ。しかし、一人の女性との再会をきっかけに再びインディの冒険が始まる!そこからのインディ=ハリソンは凄まじい活躍。カーチェイスもグーパンチもムチも崖登りも全部やります。そして終盤は再び人生の冒険をどう終えるのかという問いに出会う…

映画のインディは老化しているが、決して『劣化』していない。知恵と勇気はそのままに、過去の後悔を背負って生きる孤高のヒーローだ。観客はインディの人生の選択から目を離せない。最後の最後までインディの生き方を見つめ続けたいと思う。

クアドラードとアレックス・サンドロ

クアドラード選手

サッカー選手の場合はかなりシビアだ。残した数字による評価が必ずついてまわるからだ。ユベントスに長く在籍している二人の選手もまたかつての活躍と比較して、近年のパフォーマンス低下を批判されている。加齢をしてかつてのプレーは出来なくなっているかもしれない。

しかし、彼らもまた経験を得てより重要な選手となっている。時にはゲームキャプテンとして、ロッカールームの中でもチームを引っ張る存在となった。ピッチの上でも過去とは違うポジションで異なるタスクを担うようになった。とくにクアドラードはチームの台所事情の厳しさをモロにうけて35歳にしてシーズンフル活動を余儀なくされていた。もう少し休ませることができたらきっとパフォーマンスも向上していたはずだ。彼らはかつての彼らと比べるまでもなく、重要な選手だ。チームを去るとしても彼らのキャリアを追い続けていきたい。

LUNA SEA復活祭

RYUICHI

LUNA SEAは2022年8月に復活した。ボーカルのRYUICHIが同年2月に声帯手術を受け、わずか6ヶ月でライブのステージに戻ってきた。手術の後、声量の制限まであったとは思えないライブアクトを見せた(ちなみにセトリがLUNA SEA史上最高だ!)。
しかし歌い方が変わった。伸びやかな声を出すことが難しいように見える。かわりにシャウトするところや「かかってこーい!!」と煽りをいれるところの気迫は凄まじいものがあった。12月にはライブ2days黒服限定GIGを行った。過去の(デビュー前の未音源化の曲も!)楽曲のみで行ったライブはどれも激しく、RYUICHIの喉は大丈夫?!と思うような攻めの選曲だった。

RYUICHIの声は新しく生まれ変わった。過去と同じような歌い方は一部分では出来なくなったのかもしれない。しかし、今自分にできることをもがきながら探って、かつその限界を超えていこうとしている。苦しみはある、でもそれもバンドの推進力に変えていこうとするその姿勢は決して『劣化』なんてしていない。むしろ『深化』している。あとどのくらいバンドが続いていくかはわからない。だけどこれだけは言える、今のLUNA SEAが一番チャレンジしているし、目の離せない激アツな状態になっていると。

最後に

3つの例を挙げたが、現時点での己のパフォーマンスを最大限に発揮するために努力を続ける推しに『劣化』なんてあり得ない。経験を経てより『深化』した推したちから目が離せないし、彼らのプレイヤーとしての人生を最後まで見守りたいと心から思う。

もし『劣化』というものがあるのなら、それは二つの種類があるはずだ。一つは過去の輝きと比較した一面的な見方である。もう一つは企業努力を辞め、過去の遺産だけでやっていこうとするときだ。そこには明らかな『劣化』が見えるはずだ。自分にも常に問いかけたい。わたしは『劣化』していないか?と。


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