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間違い続けた僕の人生⑤



1年生後悔編


前述した通り1年生生活はとても楽しく。主観的に見ればそれなりに充実した生活は送っていたようだった。

そう、“主観的に見れば”

とまぁ、自身の楽しかったことばかり述べてきたが客観的に見るとそういう訳ではなかった。

自虐じゃないが自分が思うほど自分は客観的に陽キャじゃなかったということだ。あくまでキョロ充だったというだけの話。

今までの話だと主観的に楽しかったと言うだけである。しかも自分はLINEを始めるのが遅かったというのもあり世間的な噂話に疎かった。

噂話と言っても当時流行っていたのは恋バナだろう

「誰が誰を好き……誰が両想い、誰が付き合っている」   

そんな私からしたらどうでもいいような事だったが世間一般はめちゃくちゃ恋バナ系人気で恋バナの情報量のトレンドが他人から置ける自分の評価に繋がる重要なことだったのだ

つまり、誰が誰のことが好き、付き合っているという情報屋たる存在が人から信頼されている評価になるわけだ。

それを体現していたのは石田だ……

石田は学年陽キャにおいてなぜかカリスマ性というより人を惹きつけるタイプの人間だった。

石田と仲が良かった私はたまに学年の恋愛事情を聞いてはよく人に流しまくっていた。

今だから分かるのだが……人とは情報を欲しがるけれども情報を流す奴には近寄りたくないのだ。

いわゆる口の軽いヤツ

何でもかんでも喋るからそいつに喋りたくない
そう思われて当然だろう。

その頃の私は自分が得た情報を他人に流しひたすら自身が情報を持っているという誇示に浸っていたのだ……まぁ、それはよく思われなくて当然だ

そのように他人の好きな人をその当人の好きな人自身に伝えるなどという凶行を当時はしていたのでそれは少しずつ個人的なヘイトが溜まっていたのではないかと思う。

陽キャかぶれキョロ充にも関わらず自己中心的で他人を傷つけることすらいとわなかった……というか、傷付けている自覚すらなかった。

ただ、私が私が当時陽キャ(キョロ充)だったこともあり不問というか個人的な人間的嫌悪を向けられることは無かった。

帰り際ボロン事件

この事件は私が当人となって経験した訳では無いが中学1年生にしてはとてもショッキングな事件だったので紹介する。

事の顛末はこうだ

石田と私と同じバスケ部の和多くんと女子2人が休日、石田の家で遊んでいたらしい。

女子2人のうち1人は下ネタが好きな女子 唐沢さんで

そもそも中学校の風潮として下ネタは男子が言い、女子は

「キモーイw下ネタとかないわ」

など否定的or無知系な女子しかいなかったその中でも下ネタが好きな女子、唐沢さんは稀有だった。

そこで休日、石田の家で遊んだ後帰り道が近かった唐沢さんと和多くんが2人帰っているなか下ネタの話になり

唐沢「男の人の“アレ”ってこんぐらい?笑」

和多「う〜ん笑笑」

唐沢「あはは笑」

和多「じゃあ、俺の見せてあげるよ…ボロン」

唐沢「えっ…?」

圧巻である
不意打ちまさにそうと言うべきだろう。
いきなり下半身を脱ぎ自身の局部を女子に見せつけたのだ。

唐沢さんは意味がわからずキョドってそのまますぐ帰ってしまったという……

その後その話が石田へ…石田からバスケ部の私へ…私からバスケ部、学年…色々な人へたちまち学年中大騒ぎになった…

当時下ネタを言うこと自体自身のモテる格を下げる禁忌だったにもかかわらず下半身局部を見せるなどマセた子供の段階を2段ほど超えたえげつない行為だったわけだ……

当人はその話についてうんともすんとも言わない…バスケ部内でもこの話はホットな話題として取りあがったが次第に触れてはいけないタブーの話になった…

ヨダレべちゃべちゃ事件

帰り際ボロン事件があって数日後の話である。

その数日後、ふつうに第3回考査があったのだ
考査が終わり、私が用紙を回収し、和多くんの用紙を回収しようとした時、彼は寝ていたのだ。肩を揺すり

「おい、和多。起きろ〜」
そう声をかけ彼が起きた途端
(ヌバァ……ベチャァ……)

彼の口から糸を引いて垂れるよだれ
それが回答用紙をつたい机全面に広がっているではないか
思わず
「えっ、ウワッ!」と大声を上げてしまった 
それに反応したクラスメイトが皆続々と集まる

地獄絵図だった……テストなので席は普段と違い名簿順へと変更する。

そうなると和多くんがよだれを垂らした席は自分の席ではないのだ……

しかもそれは…   “女子の机だった”

その机の主の女子はクラスの女子から大丈夫か?机変えてもらおうね。災難だったねなどと同情の声をかけてもらい…男子からは冷ややかな目が注がれ笑い立てる奴もいる…

先日に続きコレだ…

見かねた先生はその机を持ちどこかへ運び込み、別の机を持ってきてくれた。

これで机自体は事なきを得たのだが…そうなると噂はクラスから学年へ、幸い先日の帰り際ボロン事件がインパクトが強かったせいかこっちはそんなに広まっていない様子だった。

どちらにしろ私の中でも同じ部活なだけあり和多くんは割と冷静な性格だと思っていただけに結構ショッキングというか

(あぁ、ヤベェやつなんだな)

と思ってしまった。

2年生クラス決め編

主観では順風満帆、固定の友達は定着しないが遊ぶ友達は沢山おり、部活も充実しクラスも仲良く結構楽しかったイメージであった。
ここで1年が終え、中学2年生に上がることになった。

今まで最低学年であったこともあり、受け身姿勢から今度は1年生に教えるという立場でもあるためでもあるため少しずつ意識は変わりつつあった。

そして運命のクラス決め…

覚えているだろうか…Tさんと同じクラスになりたくないとあれほど願った1年生。

それも今回同様2年生のクラス決めも祈った。
(神よ、いるならば私に慈悲を…)
今年の運全てを使い切る。そのような覚悟でクラス決めに望んだ

そして

“居たのだ”

同じクラスにTさんが

神は居なかった。絶望の淵に立たされた。
始まるのか…小学校5~6年生で味わった…
あの恐怖を

しかし、ふと思い浮かべる

あれ、中学校1年生になってTさんを陽キャとして見かけたか?

そう、見かけていないのだ

それもそのはず、小学校卒業と同時にTさんの親衛隊は解散されTさんの圧倒的権力は小学校卒業で消え去ったのだ。

そしてほぼ誰も知らない中学校という新しい環境の中で誰もTさんのポテンシャルなど知る由もなく、村八分を形成できなかったのだ

そして散りばめられた親衛隊は鳥籠から開放された鳥のように羽を伸ばし悠々と中学校生活を謳歌していたのだ。

それを知ったTさんは絶望した。

あくまでもTさんへの信仰は仮初のものでしかなく、Tさんによる村八分を信仰する人はただの1人も存在しなかったのだ。

よって、中学入学からTさんは小学校のメンツと絡むことは少なくなり、クラス内では中の上程度の地位に収まり、小学校の圧政を考えればほぼ孤立に近い状況だったのだ。

だからなんだ。いや、そうなのだ……
だからといって彼にされてきた仕打ちや圧政を忘れ普通に接せるわけではなくやはり苦手意識はあるのだ

よってどちらにしろ“最悪の引き”だったのだ

2年生編 ~親愛なるTさんとの再会~

あたふたしあの日々に怯える間もなくその時はやってきた。

クラス替えが終わり新しいクラスになった。1年生の頃の知り合いはもうほぼ居ない。

よってまた、ほぼ1からのスタートになった。
 
ここでまず2つ考えた
・陽キャとして生きるのを諦める 
・Tさんと再会し受け入れてもらい陽キャとして返り咲くか

この二択であった。しかし、即決。

今までこの14年間アスペ村八分と色々多難多難あったものの陽キャじゃない自分という選択肢はなかった。

よってここは小学校の頃何も無かったかのように話しかけ受け入れ今度こそ対等に…… 

対等に喋るんだ。

そう思い彼と喋ってみた。
そうすると驚くほどトゲがなくあの頃の村八分で圧政をしていた残虐非道なTさんではなく精神的に成長した。Tさんの姿がそこにはあった。

(よかった…新しい社会を知って成長したんだ)

そう希望を抱いてしまった。

だがしかし、普通に喋れるのだ。普通に喋れるからこそ違和感がある。

そう、普通に喋ってしまったら

いつ村八分にされるかわからない。

いつ不機嫌にさせ絶交されるかわからない。

自殺願望を抱き死にたくなるような村八分生活がフラッシュバックするのだ。

やはりダメだったのだ。精神的に…いくら普通に戻ったとはいえ“本能が”彼を拒絶しているんだ

新生活3日目の心労で分かってしまった。

そして引き返せるのは今のうちだと……

そして私は「彼と相対する道」を選んだのだ。

2年生編(Tさんと敵対するということ)

(やはり、本能が彼を拒絶している。無理なんだ、彼と共存するのは……)

決めてからは早かった。もう彼とは話さないようにした。彼も私の意図に気付きすぐさま敵対した。
やはりキツかった。
何しろ圧政者から通常人へ下ってきたとはいえ圧倒的なスペック、彼は陸上部へ入部して種目を長距離から短距離+走り幅跳びへ

彼の圧倒的な才能は1年生から爆発しており、学年1ではないかと揶揄されるほど噂になっていたスーパースターであった。

そのレベルの人間がスクールカースト中間なはずもなく依然としてクラスでは数名のTさんコミュニティを形成するに至った。

ということもあり、私は必然的にスクールカーストトップ層から蹴落とされた。

クラスの中では徐々にそのクラスの彼(Tさん)と断絶した雰囲気がどんどん浸食していき暗黙下に理解されていった。

よって…私はなるべくして“陰キャ”になった。生まれて初めての感覚だった。

でも後悔はしなかった。自分を隠して圧政に服するのはもうコリゴリだった。

そこで初めて感じた…“自由”

肩身は狭いけれども自身がやりたいことを自由にやれる…

他人の評価を気にすることはない、世間体やそういうすべてのしがらみから解放されてそういう生活もありかなぁとは思ってしまった。

自分だけが陽キャコミュニティからひっそりと消える。

部活仲間以外で特定の仲の良い人もおらずなるべくしてなったというべきか。

それでも部活仲間とはとても仲が良かったし、当時のバスケにおける実力もあった。

部活の仲間との交流だけでもいいんじゃないか…そう開き直ることで当時は現状を受け入れていた。


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