灯のようなもの、あるいは給水

大人になると色んなことが出来て当たり前で、褒められることは滅多にない。

もう忘れてしまったけど、わたしも昔は寝返りを打ったり、つかまり立ちしたり、めちゃくちゃにこぼしながらご飯を食べただけで、「すごいね」「えらいね」「出来たね」と褒めてもらえた頃があったんだろう。

今は歩いただけで「出来たね!」とは言われない。自分も出来ることにいちいち喜びを感じない。むしろ、出来ない時にだけ注意されたり、自分でがっかりすることの方が多い。

だから新しくボードゲームを始める人には、「できたね!」と自分も周囲も思える、この時期だけの幸せをたくさん味わって欲しいのだ。

初心者の方が(できない)と悩む気持ちもとてもわかる。自分がクリアしたことはまだ小さなことで、出来ないことの方が多いと思ってるのかもしれない。でも先に進んだらもっと誰からも褒めてもらえなくなる。今出来るようになったことは、将来出来て当たり前のことになってしまう。だからどんな小さなことでも今出来たことに目を向けて幸せを感じて欲しい。

わたしの周囲には沢山の教え上手な先生がいる。その中の一人は、決して私のことを褒めない。他の人のことは「強いです」とか「強くなる」と励ましたり褒めてるのを何度も見ているので、その度に私は褒めてもらったことがないと抗議(笑)する。すると「最初の3年は必ず強くなるんだから自分が強くなることを疑ってはいけない」と逆に諭される。

でも3歳になったら、もう幼児だ。今しか赤ちゃん期はないのに、その時期を当たり前、で通り過ぎるなんて切ない!といつも思う。

初心者の頃は特に、この道は本当に先に続いてるのか?自分はこっちに向かっていいのか?という不安に包まれてる。そんな時に上級者に言われた一言が、長いマラソンの途中の給水、あるいは暗がりにいる時の灯のようにホッとできる材料になる。「強くなった」という一言で、ちゃんと前に進めてるんだなと安心して走り出せるから。

勿論褒めない先生の信念も私にとって貴重な宝物だ。ああ、いつ給水してもらえるのかしらと待ち焦がれる日々も、それはそれでなかなかオツなものである。

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