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ぺったりした連珠とは?〜帝王戦二次予選振り返り〜

中段戦準優勝により六段に昇段した。Twitterでそのことを報告したら、私にしては珍しく3桁のファボをいただいた。連珠界隈以外からもいただいて、明らかにいつもと違う反響があった。
当の私は、去年からずっと自分の連珠を作りこんでいく、ということに関心があり、(小声で)段位とか結構どうでもよかったりする。それよりも日々の対局で得られる発見や自分の浮き沈み、成長したり後退したり、の繰り返しのほうが余程リアルで代えがたい宝物だ。

昨日の帝王戦二次予選は1勝2敗2分というぱっと見ぱっとしない成績だったけれど、自分なりに結構がんばったし、変化を感じられたことも多かった。一つ一つ言葉にできないような想いを乗せて打ててたと思うし、悔いもあるし喜びもあった。でもさ、そういう自分にとってはキラキラ時間は、他人には伝わらない。六段昇段の写真ほど、反響がないのだ。わかりやすい結果じゃないと、伝わらない。

当たり前だ。自分でも、昨日の対局の何が良かったか、言語化して伝えていないし、他人にわかるはずもない。でも見て欲しいな、と思った。伝える努力をもっとしなきゃな、とか、もっと言語化できるようにならなきゃ、とか、あとは引きとしてわかりやすい結果も必要だな、とも思った。

どんな時も私の結果でなく内容に関心を寄せて見守ってくれている中山先生、いつもありがとう。昨日もまた、戦いの最中どう感じてたか、話しながら棋譜を見てもらった。

「全体的に、なんだか”ペッタリしてるな"って感じた」と中山。ナニソレ?詳細を聞いても、私にはよくわからない。中山の感覚だとペッタリという言葉がぴったりなのだそうだ。私にはわからない、掴めてないものが中山と話しているととてもあるということがわかるし、それよりも対局するとまざまざと差を感じる。一見するとただの勝敗なんだけど、実際はもっと大きなドカーンとした、重い差を、神谷名人、岡部九段と対峙して感じた。それって自分でも対局して初めて感じたことで、すごく面白いんだけど、その差をどうしたら言語化できるのかなあ。伝えてみたいなあ。

昨日は中山に結構細かい手の指摘を珍しくされたのでメモを残しておきたい。私の連珠は出来不出来が激しく、ほぼkatago通り!の局もあれば暴発して惨敗、の局もあり、中山に見せても「うん、つよかった」「うん、いつもどおりのぴえちゃん(の暴発)だった」としかコメントもらえないことも多い(笑)。昨日はそれ以外の感想をもらえたので、それだけ多くの欠点を引き出してもらえるだけの相手とぶつかれたんだと思う。素晴らしい体験だ。

3R井上戦 白がわたし

この局は解析かけずにまず並べてからkatagoで答え合わせしたのだが、中山はこのだいぶ前からずっと青のところに打ちたい、はー打ちたい、はー、とため息をついてた。二人ともが終始この場所をスルーしていた(笑)。私が打った赤点は、なんという筋悪、縮こまった手だろう。それよりも、青が候補にすら入ってなかったのが大問題。中山は理屈よりも、もう光って見える、と言ってた。本能で打ちたくなる場所なんだろう。

この半年ぐらい意識していた手番管理については、割と安定してきたと思うのだけど、手抜くか、直接受けるか、しか選択してないことが多いと指摘された。まるまる手抜くんじゃなくて、うっすら遠い将来受けにも効きそうな攻め、を候補にいれてみては?と。確かに〜。

青点が浮かばなかったのは、直近で手抜けるところで大呼珠を打ってしまって、結局手番奪われて苦労した局がちょくちょくあったからだ。呼珠か、受けるか、の二択しかだめかと思ってた。手抜いてるんだけど、微妙に受けに効いてるところ、探せるようになると幅が広がって楽しくなりそう!

ペッタリした連珠って、直接的な手ばかりで、立体感のない構想ってことなのかな。よくわからないけど、私にはまだまだ伸びしろがたくさんある、ということだけはわかる。

六段なので6のポーズしました

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