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数値ではない教え〜京都クラス別連珠大会振り返り〜

毎秋恒例の京都クラス別連珠大会に参加した。去年は規定人数が集まらず高段者クラスに編入となってしまったが、今年は3年ぶりにAクラス(低段者戦)が無事開催された。結果も幸運だったが、内容も考えさせられるものが多く、今の自分の糧になった。少し専門的な話もあるが書き残しておきたい。

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プレーオフ牧野戦。ここで私は青印に三を引くか、単に本譜のように4-6の連を止める(点線部分)かで長考した。というのも後者の展開は恐らく次に白が青に打ち、そうなるとAやBへの発展性が高く、白の速度が早いからだ。

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だけれども結局本譜は後者を選んだ。仮に三を引くと、白に上辺に三を止める石が入るので上辺の発展性が阻害され、下辺に展望を絞らなくてはならない。この時点でどこを黒の主戦場にするかを限定させたくなかった。本譜の図の展開は白の攻めが強いから一旦11と受けなくてはならなく、これが遅い手なので手番を取れないことは気になってはいたが、丁寧に受けて赤印への発展をプレッシャーかけつつ、機を見ようと方針を固めた。以前の私は勇気を出して11とは打てなかったと思う。

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序盤の三引きを入れるかどうかは本当に難しい。Yixin先生も一生懸命三引きを読んでたが何を考えてるのかわからない。なのでハイサレ先生(中山八段)に聞いた。

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続くこの言葉には深く感じ入った。

「何を選ぶかはもちろん大事だけど選んだ手にちゃんと身を任せられるかのほうがもっと大事で」

「そりゃー突き詰めればこの手がいいあの手が悪いってのはあるだろうけど全体として見たときに」

この局は珍しくハイサレ先生に褒められていて、それは一手一手の善し悪しというより私の方針が一貫してたからだとこの時知った。手ごとの評価値はYixinが教えてくれるけれど、全体の構想だったり流れだったりは決して教えてくれない。先生の言葉はとても大事なことが込められてると思う。

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勝った対局に反省点があった。ここでハイサレ君は「21は読み切って打ったの?」と聞く。「読み切って打ったのでなければヤバイ」と。

私は21の右に止められたら赤に展開するつもりで、21が19の上にいずれ四を引いたときに剣先となって発展するだろう、ぐらいの読みで打ち切り(気力体力時間が無かった)決行してしまった。ただミセ手を21の左に止められたらその白石が邪魔で黒の発展が限定される。これは決めすぎ、打ちすぎ、の手だった。読み切ってないのなら21で単に赤印に打つ方がポイントを積み重ねていける。私は良くこうした決め過ぎな手をやってしまう。

ここもYixinは評価値の揺れでしか教えてくれない。先生は棋理としてまずいこと以上に、読み切っていないのに踏み込んだその精神性が問題だと言いたかったんだと思う。21で勝ちか精査するのはどうでも良くて、対局中の姿勢として今後気をつけて欲しいのだと。実際、普段から具体的手順を教わることはほとんどなく、どうやって打ったかとかどのくらい時間を使ったかとか、そういうことを度々聞かれる。

このような自分の弱点は単に評価値を参考にしているだけではわからない。先生の存在はありがたい。

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とはいえ、Yixin君にイイネ!をもらうのもやはり嬉しい。図は初見の展開だったが、選んだ7〜11で10000が出た(全勝ち)。こういう時はたまにしかないので素直に喜んでおこう。そして普段はまだ私に評価値に込められた意味を読み取る力は無いのだから、数字に振り回されることなく自分で考えて咀嚼していきたい。連珠は本当に面白いものだから。

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初戦牧野さんに負けて、プレーオフで勝ち優勝できた。ライバルと優勝をかけて対局できたのは嬉しかった。

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