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訓練せよという指令

彗星戦予選のあと、いつものように打った棋譜を見せながらハイサレス先生と通話してたら、いつになく強い言葉で「katagoとただ手が一致してるだけではだめなんだ」と言われた。わたしがとあることを念頭にその手を打ってないことがわかると。もしそれを考えながら打ってたら絶対打たないような手も混じってるからだと。その事を考える訓練が必要だと。

なぜなら、それは訓練しなきゃ一生身につかないものだから。そしてその技術は持ってない人も沢山いるから。その技術がなくても連珠は勝ててしまうから。

このことを私に言うのは迷ったということも言っていた。別段必要ない、無くても連珠を勝つ上では困らない技術を身につけるために今とは別次元の努力をしろと言うのは、それは先生が私をもっと別次元に来て欲しいと思ってくれたからだと私は理解した。

それは訓練したら10年ぐらいで身につけられるかもしれないもの。でもぴえちゃんにはそんな残り時間ないでしょ?だからスピードアップしなきゃ。とも言われた。

その訓練をするために具体的にどうしたらいいのか、私は食い下がって何度も聞いた。先生はどうしたらできるようになるかまでは教えてくれないからだ。すごく抽象的なことを求めてくる。多分自分で考えて方法も試行錯誤しなさいって事なんだと思う。どうしたらいいのか途方に暮れるけど、一方でこれまで考えてなかった命題にチャレンジすることにワクワクする。

実は彗星戦予選の直前まで、ある末期癌の方の本を読んでいた。残り時間が限られてる人は、最後に何をしたいか、どう生きたいかがよりくっきりしていると思ったからだ。私も寿命はわからないが、連珠人生の残りが限られてることをすごく意識している。連珠だけでない、人生もだ。お店を辞めたのも転機で、これからどう生きようか毎日考えている。

わたしは残りの時間を目標を持って自分を高めることに邁進したい。だから連珠で◯◯に勝ちたいとか、結果を出すことにいまいち躍起になれていない。それよりも将棋で頑張れなかった自分が、日々頑張っていることに充足感を抱いている。それが目的なのかもなとも思う。もう一つは連珠を理解したい。とてもわかりたい。だから先生は私の満たされなさを見て、もう一段階上の無理難題を突きつけたんだなと思う。

人にモノを教えることは難しい。わたしなんかは出来れば人さまの人生の責任を負いたくない。先生があえてこんなこと言うなんて、すごく親切だと思うし、こんなこと言ってくれる人がこの先いると思えない。有難い話だ。

これは備忘録だ。何も方法がわからないが、今日からそのことを考える訓練をしてみようと思う。一年後どうなってるか、訓練の方法ぐらいは掴めてるといいな。とにかく今日から新しいスタートだ。ワクワクが止まらない。


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