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"怖い"の正体〜彗星戦決勝振り返り

四段以下の低段者棋戦である第61期彗星戦は2敗して準優勝に終わりました。まず始めに負けた顛末を語ると、2敗の内容はどちらも良く練習していた形で、ということは良く失敗していた形です。自分は記憶力に難があると思ってるので、なるべくエピソード記憶をするよう練習して復習というスタイルを取っていて、何度も復習の機会はあった。でもその時は「なるほど!これがいい手なのね!」と深く考えず、"だいたい"の復習で片付けてしまっていた。連珠の奥深さに根気強く付き合って追及していた2人は簡単に片付けたりせずにもっと深く掘り下げていた。

「ぴえこさんこの道好きですよね。もっと面白いことがこの後あるんですよ、行きましょう」と労せず誘導され、ホイホイ付いてった私は途中で知らない景色に出会います。「あれ?自分は今どこにいるんだっけ?どうやってここまで来たんだっけ?」自分から付いてったのに、道に迷った気がした私はいきなり慌てます。自分が自分の力で歩けるように足を鍛えて来なかったことを悔やみ、嘆き、呆れているうちに、その道が何を意味しているか、声をちゃんと聞くこともせずに短絡的に答えを出そうとしてしまいました。案の定間違えました。そんな感じの顛末です。

道に迷うことは防ごうと思えば防げたはずだった、ちゃんと地力を最大限にして対処すればもっとリカバリーできた、など自分への怒りや呆れが収まらず、"負けるべくして負けた"ことの絶望感を女流棋士時代以来久しぶりに味わいました。当時もこんなような絶望を何度も味わった。自分がちゃんと対局と向き合えなかった、という絶望を……。

ただ昔と違うのは、今回は最後の低段戦にする!と決めて自分なりに準備はしてきたことだ。ただ、見て見ぬ振りしていた部分は多分にあった。やってきたふりをしてきたところが今回露呈されたというわけだ。

例によってハイサレ先生と振り返りをした。先生はいつも連珠の手のことは殆ど言わない。今回も「自分と向き合うこと、そうでなければこれ以上強くなることはできない」とそればかり言っていた。「手に恐れや欲がある」とも。

そりゃあ怖いよ!彗星戦予選のとき、他の対局の感想戦で「この形ぴえこ先生にやる予定だったんですよ」とか「ぴえこ先生対策で」とか言ってるのが何度も何度も聞こえてきたのだ。自分を潰そうとしてる人がいる!怖かった。勝ち負けの世界が本当に嫌だった。どうしたら対局を楽しめるか考えた。自分なりにこの時の恐怖から目を逸らさないよう毎日彗星戦のこと考えて準備した。でもダメだった。

一晩寝て、自分が恐れてたのは他人じゃなかったことに気がついた。復習してるとき、本当にこれで勝てるのか自分に問うこと、自分の弱点はないか見つめること、自分のやってきたことに抜けがないか調べること、自分の勝手読みはないか俯瞰で局面を見ること、それらが怖かったのだ。自分の弱さと向き合うことを恐れていたのだ。自分に勝とうとする若者がいることより、もっとずっと怖いことだった。それをハイサレ先生は言っていたんだと思う。

先生と私が意見一致してたのは、こんないい経験できたのはラッキーだということだった。私は絶望感を自分にもたらしてくれるほど高いレベルで努力した人間が現れたことはこの狭い連珠界でとても幸運なことと思った。先生はこの幸運の波に付いてって欲しいと言った。多くの人は「ああまた強い人が出てきた、また負けた」と段々諦めていくからと。もがき苦しんでこの波に抗ってほしいと。そうでないと高段棋戦に於いても「ああまた中村さんに負けるんだな、そうなった」になるだけだから、と。

もう一度優勝して五段に上がりたいと目標を持ち、この一年彗星戦、三上杯、新鋭戦、彗星戦と4回トライしたものの、全て準優勝で、昇段ポイントが溜まり権利を得ることになりました。自分への情けなさや現実のツレなさから表彰式で「うぇ〜ん」と泣いてしまった私。48歳なのに!負けた上に皆んなを微妙な気持ちにさせてしまって恥ずかしい。でもなんで泣いたか紐解くと、自分とちゃんと向き合わなかった後悔から、ということです。思い描いていた晴れやかな卒業とは程遠い、お通夜のような低段戦からの卒業になってしまったけど、最後に物凄く大事なことに気づくことができて良かったと思います。勝負としても、連珠としても素晴らしい内容で送り出してくれた2人には感謝しています。そして中途半端だったけど女流棋士時代よりは勝負と向き合った自分、それでは足りないと自覚して変わろうとする自分、1年間コンスタントに成績を残せた自分にも胸を張ろうと思います。さようなら彗星戦、ありがとう、彗星戦……(涙)。

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