自分探しの旅の途中で〜Renju Mind Master 2021振り返り〜
写真は4Rで当たったロシアのトッププレイヤー、エピファノフが私の7手目のクリックミスを見て驚いた顔である。マウスパッドに手が触れたと思った瞬間、置くつもりのない場所に石が置かれ、わたしは次の手で投了した。折角のトップ棋士との対戦で、全く何の学びも得られずに8手で終わった。
というのが表面上の振り返りだが、実はこの対局で私は今大会最も重い気付きを得ていた。短い時間の中に凝縮されていた一局の重みについて、忘れないように記しておきたい。
写真は2019年、世界選手権QTでのエピファノフの姿である。どの対局でも盤に覆いかぶさるように前のめりになり、時には左右違う靴下を履いているのを晒しながら、ピクピクと足の指を動かしてなりふり構わず読みを入れていた。研究家であり、教材などのないロシアで題数指定打ちの研究局面を分厚い一冊の英語の本にまとめ、それを惜しげもなく後輩達に伝えている。そんな連珠に真摯なエピちゃんを前にして、わたしは4手目で固まってしまっていた。モニターには寒星という珠型が示されている。普段ならやってみたい白4を迷いもなく打つ場面で、ただ動けずにいた。どんな人とも同じように対局できれば理想だが、残念ながら私はそうではなかった。この先ロシアのトップと公式戦で打つ機会がどれほど残されているだろう。間違いなく自分にとって貴重な一番なのにも関わらず、安心して預けられる作戦が何もなかったのだ。別に正解なんて出来なくてもいい。ただ自分らしく戦えて、思いっきり今の力を出せて、エピちゃんに答え合わせをしてもらうような、今この時心中できる形が何もないのだ。
それは普段(自分はまだ長い道のりの過程にいるのだから)と先送りにして見て見ぬふりしてきたことを、突きつけられた瞬間だった。たった数分かもしれないが、自分が何もやってこなかったということに向き合った重苦しい時間だった。そんな絶望的な気持ちのまま、ふらふらとマウスパッドに手を伸ばしたら、自分ではない手が置かれた。この連珠で表現できる自分というのものはクリックミス以前に最初から何も持っていなかったのだ。この決着は象徴的だった。
去年A級リーグに出て一番痛感したことは、自分はどんな連珠をやりたいのだろうかと突き詰めて考えて戦法を選んでなかったなということだった。当時は四珠交替打ちを練習できる場所が少なく、知識も圧倒的になく、突貫工事で臨んだため例えば他の序盤と合流しやすいだとか、五珠が覚えやすいとかつまらないコスパで選んでいた。それを最も悔やんだのが神谷戦で、これは果たして私がやりたい連珠だったのだろうかと勝敗以前に恥ずかしくて仕方がなかった。
それを機に私は一体どんな連珠がやりたいのだろうかと自分探しをする旅に出ている。やりたいことを見つけるにはまずどんなものがあるのか知らないといけないので、毎月課題珠型がある東京オープンのために連珠道場で練習したり、公式戦のたびに新しい提示をするようになった。もちろん一ヶ月練習しただけでその珠型のことがわかるはずもなく、あと5周ぐらい東京オープンを経験したいと思うが、それでも以前よりはマシになったと思う。ただ自分探しには時間がかかる。仮に来年世界選手権があるとして、それまでに答えがみつかるはずもなく、これは随分とコスパの悪い方法かもしれない。短期的に勝利を掴むのであれば、広く浅くではなくすぐにでも特定の形を深く掘っていくべきなのかもしれない。でもたとえ勝ててまたA級に入れたとしても、勢いで入ったあの時と何も変わらないのは嫌なのだ。同じことの繰り返しになるのは嫌なのだ。次やるときは、自分なりに熟成したなにかを持ち寄って、彼らに答え合わせしてもらいたい。だから時間がかかっても自分はまず成長する必要があるし、このやり方を続けようと思っている。
ただ、自分探しの途中で、突然にエピちゃんに出会うこともあるのだと今回よくわかった。そうなった時に手ぶらでは悔いが残ることも。自信があるとか勝ちやすいとか正解を知ってるなんて高いことは望まない。最低限自分が身を預けてもいいと思っているベースぐらいは持とう。その上でのんびり楽しくこの道を歩いていこう。
わたしも先生と同じく公式戦ならではの大きな気付きを得た。連珠らしい連珠は全くできなかった大会だったが、それでも有意義な時間を過ごせたと思っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?