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それでもつながりを願っていた私への手引 #PIECESの本棚

今日は前回の告知通り、#PIECESの本棚 と称して様々なメンバーで本を紹介しながらリレーをつなぐnoteをお届けしたいと思います。

今日の担当はPIECESでデザイン担当している長谷川より。
私はPIECESにプロボノとして関わり始めた2018年の春頃まで、制作会社などでデザイン業務を行う会社員、職業柄デザインにまつわる本を読んでいた一方、同じくらい手にとっていたのが社会学・心理学の本でした。
家族のことや大学生活で感じたモヤモヤの正体を知りたい。そうやって読んだ中でも特に読みやすく、自身に大きなきっかけを与えてくれた本を今回はご紹介したいと思います。

「つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく」―綾屋紗月 熊谷晋一郎著

著者のお二人はとても有名なため、ソーシャルセクターに興味や知識がある方へは、私からわざわざご紹介する必要はないかもしれません。
ただ違う点があるとすれば、私が熊谷先生を知ったきっかけが姉の障害にあったということでしょうか。

私の5歳年上の姉には熊谷先生と同じ「脳性まひ」という障害がありました。
両親は障害を持つ姉のことをとても大切に思っていて「あなた達はまったく同じなんだよ」といつも私は教わっていた。でも正直、私と姉の何が同じなのか分からない。だって私たちは行動範囲や何もかもが明らかに異なるから・・・

誤解を恐れず言えば「同じであるべき」とは頭でわかりつつも、どうしても「同じ」をそのまま素直に飲み込めなかった。
どうしてだろう。これは差別?でも、そう思う理由には目に見える身体の違い以外にも何かあるんじゃない・・??
そんな宛のない疑問をほどく手引を私に与えてくれたのが、この本だったのです。

当事者研究から知る「つながりすぎる身体・関係性」

個人的に読み込んだのは第二章「つながりすぎる身体の苦しみ」について。
熊谷先生はここで脳性麻痺患者の抱える主な問題として「つながりすぎてしまうこと」と述べています。
身体であれば、各部位の筋肉同士がつながっていて、どこかに力が入ると他の部位も同じように筋緊張をしてしまう。
その密接さは人と人の関係性でも起こり、「健常者と同じ」を求められるため介助者と過剰な関係性を持ってしまう。

そんな二章の内容のほとんどが姉の姿に当てはまり、また人との密接さに関しては私の姉と母の関係性そのもの。
まるで二人三脚で生きていたような母と姉。物心ついた頃から母の介護を受けていた姉は、妹である私にとって羨ましい以外の何でもなかったけれど、姉にとってはその密接さも障害の一部だったのかもしれない・・・

そんなことを考えた後、私の中で何か新しい視座が生まれ、変化した。
うまく言葉に出来ないけれど、その変化の後は驚くほど自然に「どれだけ違いがあっても私たちは同じ両親から生まれた姉妹なんだ」と思い至ったのです。

つながりは「互いの差異」を認めるところから

この本のメインに当たる「べてるの家」「ダルク女性ハウス」での実践をもとにした”違う特性をもった者同士がつながるための作法”の分析・レポートは、本の中で挙げられる当事者の抱える障害や依存症などの特性以上に、まるで普段の社会生活への深い考察のような内容ばかり。

個々人の差異はそのままに、同時に差異を超えた共感と合意を立ち上げるという二重性は、まるで夢のように次々と自生してくるイメージを、他者と交わし合うところに生み出される。 ―「あとがきにかえて」より

私は姉の障害にばかり焦点を当てていたけれど、本当に求めていたのは「それでもつながっていたい」と願う心と、その道筋だったのかもしれない。

つながりたい、でもつながりあえない、あなたと私。もしくは、私とあなた達。
この本の起点は著者2人の障害にあるけれど「日常生活で感じる繋がりへのもどかしさ」のヒントとして読むと、また違う景色がこの本から立ち上って見えてくる。私にとって、そんな複数の大きな気づきを与えてくれた本です。


今日の担当:長谷川真澄
twitter https://twitter.com/msm_hsgw
note https://note.mu/masumi199

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