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広い海へと導けるひと #最近考えていること

こんにちは。世の中はすっかり某ウイルス関連でざわめいていますが、皆さんどうお過ごしでしょうか。

政府から要請された臨時休校にまつわるニュースを受け、色々なことを考えては、行動したり。また知り合いの子どもや、出会ったことのないどこかの子どもへと何かしら配慮やサポートを届けたり。
私の周囲にはそんな大人が沢山いて、少し安心するような、そわそわするような。そんな不思議な気持ちになっていました。

もし今の私に小学生くらいの子どもがいたとして、もし、学校に行けなくなったら。なんて言葉をかけたり、どう接したりするんだろう。

そんなことを空想して、ふと、以前に何かの拍子で読んださなかクンのコラムのことを思い出しました。

(いじめられている君へ)さかなクン「広い海へ出てみよう」

 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。

 でも、さかなの世界と似ていました。
たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。

 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。

 ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。

(朝日新聞2006年12月2日掲載)特集「いじめと君」より 一部抜粋
https://www.asahi.com/articles/ASH8Z517SH8ZUEHF00D.html

このコラムはいじめをテーマにしたものですが、今のムードを照らし合わせると、また違った印象を感じます。
子どもの居場所は環境により様々だけど、その大きな割合を示す「学校」までも大人が奪ってしまったのではないか……と。

広い海というのは、本物の海でなくてもきっといいのです。
家以外の学校、学校以外の近所の遊び場、遊び場以外のどこか遠くの場所。
海は無くとも行ったことがない土地なら、それでもいいし、例えば本や映画のように「自分の手が届く以上の大きな世界」に触れる機会でも。

より近くに、より近場に…と子どもとの距離感を求める今のムードだけれど、もっともっと「遠くに行く」ことを提案できる大人でもいたいな。

子どもを持たない私の想像は全く呑気なものかもしれません。でも、そんな勝手な願いごとを私はこの数日考えていたのでした。


今日の担当:長谷川真澄
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