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いつもの掃除のおばちゃん

私が小学生の頃、住んでいたマンションにお掃除をしてくれるおばちゃんがいた。掃除が終わったおばちゃんは畳一畳分の小上がりの部屋のドアを開けて、そこでよくお茶を飲んでいた。
私は同じマンションに住む友だちとその場所を訪れ、おばちゃんと話をするのが好きだった。

ある夏の日、親に内緒でビーチサンダルを履いて、友だちと出かけた。
親から「危ないから遊ぶ時は靴を履いていきなさい」と強く言われていたけど、私はどうしてもビーチサンダルを履いて行きたかった。
帰ってきたら親に怒られるだろうな・・・とドキドキして、心がギュッと締め付けられそうになっていた。

不安でいっぱいになってしまい、友だちと別れて、先に家に帰ることにした。

けれど、そのまま家に帰ると見つかってしまうかもしれないと思い、帰るに帰れずソワソワして途方に暮れていたとき、ふと、「そうだ、おばちゃんのとこに行こう」と思いつく。

「こんにちは~」といつも通り声をかけてくれて、おばちゃんとたわいもない会話をした。
そのうちに、不安だった気持ちが落ち着いてきて、家に帰ることができた。

結局ビーチサンダルを履いて出かけたことは親にバレなかった。
あのときおばちゃんのところに行って、話せたことが大人になった今でもなんだかずっと心に残っている。


実家から離れた今も私はマンションに住んでいる。

毎朝子どもと保育園に登園する時、マンションの掃除をしてくれるおばちゃんが「おはよう」と挨拶してくれる。
そして、必ず手を止めて「いってらっしゃい」と何回も言ってくれる。

子どもたちはおばちゃんが大好きで、
「今日は〇〇なことを保育園でやるんだよー!」
と言ったりして立ち話をするが、おばちゃんは嫌な顔ひとつせず子どもたちの話をにこにこ聞いてくれる。

毎朝、バタバタと家を出るけれど、おばちゃんとのほんのひとときのやりとりに、焦っていた気持ちがちょっと(少し)和らぐ。

いつも同じ場所にいて、何気ない言葉を交わす。
日々の暮らしの中で、それが毎日積み重なっていく。
そして、いつのまにか懐かしい記憶になっていくのかもしれません。

子どもたちも私の小学生の頃のように、なにかあったら「あ、あの掃除のおばちゃんのところにいこう」って思うかもしれないな。なんて思った。


このエピソードを紹介してくれたのはPIECESメイトのぴおちゃん。
大人になった今でも鮮明に覚えているお話をラジオでも聞きました。
よかったら聴いてみてくださいね。


暮らしの中にある、誰かを想うふるまいやまなざし。
PIECESはそれを「市民性」と呼んでいます。

2023年12月から「やさしさのむしめがね」として市民性を照らしています。
たくさんの市民性や市民性をみつけたメイト(継続寄付者)をご紹介していますので、見てみてください。


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