見出し画像

あの日の「私」からバトンを受け取って#PIECESの本棚

今回は、PIECESでインターンをしている、濱口がお届けします。

#PIECESの本棚 のリレー企画として、私は小学生の頃から大切に読み返している小説をご紹介します。

きみの友だち 重松清

この本を手に取ったのは、小学5年生。

図書委員だった私は放課後、貸出本を整理している時に、たまたまこの本が目に入り、読んでみることにしました。


主人公は交通事故にあい、松葉杖をつかないと歩けなくなってしまった、恵美ちゃん。
病気がちな由香ちゃん、そしてその周りの「友だち」たちです。

足の不自由な恵美ちゃんと病気がちな由美ちゃんは、ある事件がきっかけでクラスのだれとも付き合わなくなります。
優等生の西村さん、転校生のブンちゃん、クラスの人物相関図をこっそり書いている堀田ちゃん…
それぞれの物語がちりばめられた「友だち」の本当の意味を探す連作長編小説です。

「友だち」って何だろう。

皆さんも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
いつもそばにいる存在?趣味が同じ人のこと?一緒にいて楽しい人のこと?

赤の他人なのに、考えてみれば不思議な存在です。

この物語は何度も私たちに「友だちとはなにか」「つながりとはなにか」を問いかけてきます。


「ひとりぼっち」と「みんなぼっち」

みんな、ばらばら。
みんな、くっついていても ほんとうは「ぼっち」なんだと思う。
みんなぼっち― 
ひとりぼっちよりも寂しいかもしれない、これ。

小学生のころの私は、クラスの中でどの位置に自分がいるのか。
今は誰と誰が仲良くて、仲が悪いのか。
そんなことを気にして過ごしている時期がありました。

「みんなぼっち」
これは私の中に、すっと溶け込んでいくような言葉です。

「西村さんは友だち、たくさん欲しい人でしょ」「わたしは違う」
「いなくなっても一生忘れない友だちが、一人、いればいい」

これは作中、学校でいじめにあい、それ以来同級生の目が気になってしまう西村さんに恵美ちゃんが言った言葉です。


私自身、中学では、「違うね」「変わっているね」と言われることが恥ずかしいと感じることもありました。
(恥ずかしいと顔が赤くなるタイプだったので、それを指摘されてもっと恥ずかしくなる)

しかし今は、私のことを「素敵だね」と言ってくれる友だちがいます。
なかなか言葉にできない気持ちを急かさずに、ただただ隣にいてくれる友だちがいます。 

そして私も彼らのことを「素敵だな」と思います。

これはとても幸せなことだと思います。

PIECESの目指している「子どもの周りに信頼できる大人がいる社会」も似ているような気がします。
自分のことを理解してくれる存在、ゆっくり耳を傾けてくれる存在、包み込んでくれる存在が1人でもいることが大切だと感じます。


子どもの「私」からバトンを受け取って

このnoteを書くあたって「きみの友だち」を改めて読み返してみました。
この本には子どもの私がいました。
「学校」という場所で、海の底の魚のようにジッとしている私がいました。
「大丈夫だよ」と言って抱きしめてあげたいです。

子どもの「私」からバトンを受け取って、私は歩いていきます。
立ち止まったらまた、ページをめくってあの日の自分に会いにいこう。
そう思わせてくれる本です。

今回の担当:濱口芽生(はまぐちめい)
Twitter



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?