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日本再生の鍵!「クレイジーで行こう!」を読んで

どうも、よしです。初noteで本のレビューをしようと思いたった。早速始めていこう。

映画:Fracta~水道管から日本を再生した男~

10年後にこのタイトルで本書の映画化が決定されていてもおかしくない。場所はアメリカ、シリコンバレー 。GAFAなどの名だたる米テック企業がひしめくこの地に降り立った一人の日本人がテクノロジーの分野でアメリカに日本の旗を立てる挑戦に奮闘する過程を綴った体験記だ。今回取り上げるのはそんな本だ。

↓クレイジーで行こう!↓

まず初めに伝えたいのは本書は起業家としてのヒューマンドラマをノンフィクションで記したものであり、自己啓発本ではないということ。日本語のタイトルを読んでクレイジーのHowToを押しつけられるのでは、、と一瞬躊躇してもおかしくないが、本書が読者に価値観を押し付けるようなことはない。

アメリカで日本人が起業をし、その企業を世界中が欲しがるまでに成長させる過程で著者が人、文化、経営、にまつわる障壁とどのように対峙したのかを、当時のリアルな声で綴っている点が本書の一番の魅力と言える。

紹介が遅れたが、本書は著者である加藤崇 氏が現在のFracta, Inc. をシリコンバレー で創業し、日々奮闘するする中で体験したことを月一で連載記事として次の日経デジタルに寄稿していたものをベースに書籍化したものである。著者はこの冒険録を事業家として走りながら約3年も連載を続けたという。

対象読者としてはFractaという会社、または著者について知りたいという層がターゲットであると感じる。体験記である本書はリアルな声をそのまま綴っている分、そのままでは読者の行動変化を促すほどメッセージ性は強くない。響く人には響くが、それが行動に作用するかと言うと難しい気がする。ただし、ヒューマンドラマとして魅力的であることはさる事ながら、本書には今後の日本の将来を考える上で重要な役割を果たしていると思うのだ。大きく振りかぶったが誇張しているつもりはない。これから僕の一読者としての感想を踏まえ、本書の魅力を紹介していく。

本書のコンセプトや著者のが込めた想いについては”あとがき”に詳しく記されている。「クレイジー」の意味やシリコンバレー という異端の地について著者が書籍化にあたって加筆したパートだ。多くの読書は”あとがき”から読むことを個人的にオススメする。


加藤崇 と 孫正義

「クレイジーで行こう!」というタイトルを見て、ソフトバンクの孫さんも同じことを言っていたなと思い出した。

「恥じらいをもっては革命は起きない狂え!クレイジーになれ!」- 孫正義
cf. 記事,  動画

本書には孫さんやソフトバンクに関する記述は一切ないが、著者と孫さんはマインドセットの面で共通する部分が数多くあると思う。その中で最も強調したいのが日本の将来に対する課題感だ。

孫さんが2010年8月30日にテレビ東京のカンブリア宮殿で発した言葉を紹介したい。

「マネするだけでよかったのが高度成長期の手前からの状況だったんですけども。ある程度日本の社会が成熟してきたら真似することではなくて生み出すこと、ビジネスモデルを新しく作る、テクノロジーを新しく発明する、生み出す方にいかないと先進国としてのポジションは保てない。」- 孫正義

実は本書にも同じ問題提起をしている記述がある。いつの時代でも日本を憂う成功者がいるから今の日本がある。ただ、明らかに孫さんと著者には異なる点がある。それは日本の技術を海外(特にアメリカ)に輸出することに成功しているか否かだ。

時代の背景もあってか孫さんはインターネットを民主化する役割を全うし、技術の輸出を牽引することはなかった。むしろ近年の動向からは技術輸入を斡旋していると言っても過言ではない。その是非はさておき、それだけビジネスの側面から難しいと嫌厭されてきた日本から世界(特にアメリカ)への技術輸出を著者は成し遂げているのだ。

そこには単なる金儲けを超越した、日本人という一種のサピエンスとして、また加藤崇という一個人としての人生との向き合い方が現れているように感じる。日本の将来に課題感を持ち、実際にそれを成し遂げるまでの道のりをどう乗り越えていくのか、本書を読む上で注視したいポイントだ。

「シン・ニホン」のラストピース

本書を読む前に僕が読んでいた「シン・ニホン」について少し話したい。「イシューからはじめよ」の著者、安宅和人 氏が今年2020年に出した話題作だ。

安宅さんが過去数十年の間に、幾度となく日本のお偉いさんにぶつけてきた日本の極めて深刻な実情とオワコンジャパンから這い上がるための選択肢について聡明な分析力で噛み砕いて解説してくれている日本再生のための福音書のような書籍だ。

なぜ唐突に別の本の話をするかというと、安宅さんが「シン・ニホン」で訴えかけた日本に残された主戦場である出口産業(Fractaは水処理業界)においてFractaはAI-ready化に王手をかけているという非常に重要な事実を「クレイジーで行こう!」を読む上で忘れていてはもったいないと思うからだ。

出口系とは、ヘルスケア、住宅、教育、金融などと言った実際の産業での用途、もしくはその構成要素としての調達、製造、物流、マーケティング、人事といった機能側の話だ。
(中略)
入口側の機能は業界横断的、すなわち水平的であるが、出口側は業界、もしくは機能に特化しているという意味で垂直的と言える。垂直領域は深いドメイン知識に基づく作り込みと、汎用性だけでないセミカスタム力が鍵になる。日本の持ち味の1つである現場、顧客に寄り添う力が生きる時でもある。
cf. 「シン・ニホン」- 5 日本に希望はないのか

つまり、本書を読む上で一つのベンチャーがイグジットに成功するまでの経過を完結したストーリーとして味わうのではなく、日本の限られた勝ち筋に王手をかけたベンチャーがここに誕生したんだというバイブスを感じ取って欲しいということだ。

中でもFractaはアメリカ市場の開拓に既に成功しているという点で別格だ。同社がこの先さらなる発展を遂げてその功績が世に認知された時、「抽象的だ」「結局日本は負ける」とシン・ニホンを評した面々も「不可能じゃないんだ」、「まだ遅くないかもしれない」と日本にムーブメントを起こすんじゃないかと期待してしまう。

クレイジー = 情熱 × ユニーク

クレイジー、情熱、フェア、仲間、コミュニケーション、スピード感。本書で語られるこれらのキーワードの中で最も強調されているのが情熱(パッション)である。タイトルはクレイジーとなっているが本文では情熱について語られる場面が多い。一見まとまりがないとも捉えられるが、忘れてはいけない、著者は毎月本書の原稿を書いて連載として寄稿していたことを。

つまりはこういうことだろうと僕は次の方程式を作ってみた。

クレイジー = 情熱 × ユニーク

著者の戦場、シリコンバレー はユニークのメッカ。ユニークは尊重されるものという文化が既に根付いている。つまり、情熱にどれだけ薪をくべられるかがクレイジーのエネルギー総量に大きく関わっていたということだろう。

それに対して日本はどうか。ユニークが圧倒的に足りてない。もちろん情熱を持ち合わせている人も少ない。情熱もユニークさも失ったらただのマシンじゃないか。どちらも大事だから「クレイジーで行こう!」日本だからより一層この言葉を使う意味があるのかもしれない。

かのスティーブ・ジョブズはクレイジーという言葉ではなくパッションとユニークネスを分けてそれぞれが重要であること言及している。少し長いが次の動画は著者のクレイジーという言葉を理解する上で非常に有用なインタビューだと思う。


さいごに

改めて振り返って見てFractaという企業が、加藤崇という人間の挑戦が日本の未来にとって尊い存在であることを感じた。冒頭の映画化するというくだりもあながち間違っていないのではないだろうか。さあて、次は僕たちの出番だ。

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