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スバル1300G(2)

 1987年、僕の初任給は157,000円だった。初年度は税金が少ないから余裕があると騙される。この土地で暮らすには車がないと不便だと分かり、スバル(この意味は後半に書いてある)一択で探し始めた。インターネットのない時代、中古車市場は全滅、コネもなく、頼りは雑誌の個人売買だ。
 今は20年以上落ちのGC8でもすれ違うが、当時、1972年製の車は見なかった。車の寿命は延びてはいない。登録後10年以上の乗用車は商用車同様に毎年車検で、その煩わしさから虫けらのように潰されたからだ。

 新卒は工場実習をする。それをしない間接の中途入職者が増えている今、必要性は疑問である。僕はレックスを作る1車体に配属された。ボデコンを集成する作業の合間に休憩所にいき、毎月の「カートピア」という広報誌の個人売買欄を見るのが楽しみだった。
 1987年5月号に「1300Gスポーツ売りたし」とあり、連絡すると「すでに車検を取ったので乗ることにした」という。残念だが仕方がない。
 ようやく9月にスクランで前期スーパーツーリングを見つけた。千葉からで、連絡すると詳細説明付きの手紙が来た。Aピラーやサイドシルに膨れ(錆のこと)があるらしい。

 僕は前年SOPしたレックスの係で、職場はまだ黎明期の名残があった。電着済のレオーネのボデコンは錆びていたが、電着前のスバルのボデコンは錆がなかった。電着塗装面は水分が残り長期暴露があるんだな。
 タイヤ倉庫の裏には初期の衝突バリア面があった。今はウインチで牽引ワイヤを閉ループで駆動させるが、最初は車で衝突車を引く原始的なやり方だったそうだ。上司は「ベレGは力があって引きやすかった」と言っていた。詳しくは内燃機関に影山さんが寄稿しているから興味があれば読んでください。ベレットの話は書いてない。
 食堂横のビジターセンターに置かれたP-1を除き、その倉庫の片隅にはT-10やA-5、K-0、360の石膏型、黄土色のEVなどが埃を被っており、たまにそこでサボっていた。彼らは孤独を癒す仲間だった。だが、ある日EVが廃車置場に置いてあるのを見、一介の社員は無力だと感じた。
 コンテンツはイメージ操作である。水平対向は決して低重心でなく、2022年に米国仕向けをAEB標準にするコミットメントを平気で反故にし、捨てられた車はヘリテイジから葬り去られる。
 真に重要な歴史資料は棄てられ、1.6㎞のテストコースは「革新の中心」の「ランドマーク」の犠牲になる。コスト質量削減の結果、不具合が散発しても対処療法のチューニングしかスキルのない彼らが短期開発でイノベーションを起こす様に期待したい。なんたって、いつも神風が吹くのだ。 

燃料電池とあるけど、流行りの水素じゃないよ。
亜鉛空気電池+ニッカド(懐かしい!)のハイブリッドです。
よいこは空気電池を調べてみよう

 「スバル」は本来「車名」である。枕草子にも出てくる古い日本語だ。当時富士重の社長がペットネームに決めた。ラリー/ダートラのリザルトに「スバル」とあればff-1や1300Gのことだ。レオーネはレオーネだ。
 だが狂信者や提灯持ちライター達が煽り「SUBARU」はその由来を置き忘れた。忘れよう/昔のことは/思い出したくない、と銀ちゃんも言っている。
 近年社名を変えた「スズキ」や「マツダ」の国内登記は日本語である。だのにアルファベット表記なのは米国一本軸の意志を表したか知ら。営業や組合出身者を代表にするような会社だから安物のメッキもすぐに剥がれないのが世の常だ。

 何回やり取りしたか忘れたが、現車確認しに東金を訪ねて行った。
 手紙通りドア外板が自作FRP製だった。その場では気が付かなかったが、W/SアウターはなくRrドアの下端は20mm位ボディから張り出している。
 機関はO/H済で、背圧の低い1100の排気系に交換され、テールにはバニングのマフラーがある。車検に通すためと言っていたが、相当格好悪い。
 元色はハーキュリーゴールド(メタリック)だが、外装は赤に全塗装されていた。ポルシェの赤と言っていた。ホイールはFtがビッグライトで、Rrは同一形状のスバル純正OPだ。外観の違いは刻印だけで双方5Jのストレートナットだが、オフセットが30と32で異なる。ビッグライトは「大光製作所」製だ。トリビアである。
 タイヤはダンロップ145SR13、標準サイズだ。スバルのタイヤは細い方が似合う。
 近所を一回り運転させてもらったら舞い上がって仕舞い、その日群馬に乗って帰ったのは言うまでもない。いい加減な譲渡証を渡されたので、自分で名変するとき代書屋に文句を言われた。

 このクルマは、スバルの楽しさを教えてくれた。ピックアップの良いエンジン、低すぎないギヤ比、軽快な加速、そして切った方向に素直に向く操縦性など、意のままに動き、レオーネが無くした人馬一体になる感覚がある。未熟な運転技量の者にも操縦する楽しさを教えてくれ、マイカーライフとしては非常によいスタートだ。

 経験不足のため度重なる故障には正直辟易した。
 サイドブレーキワイヤが戻らず、Ftブレーキが引きずる。その都度下に潜ってキャリパーレバーを戻す。サイドを引かない癖はそれ以来である。
 房内のヒューズBOXのうちIGNのヒューズが良く切れ、交差点で何度も止まった。仕方がない、押すのだ。
 ウォーターポンプから冷却水が漏れ、特約店の富士オートから「古いクルマは修理できない」と断られた。これがディーラーだ。だが、当時ブラットを買った同期のつてで、今もお願いしている整備工場に出会えた。
 ある日、膨れたサイドシルを触っていたら穴があいた。困って相談したら板金屋さんを紹介して頂き、レオーネのサイドシルOUTに張り替え全塗装で綺麗にしてもらった。
 こう書くと酷いマイカーライフだが、少しは楽しい事もある。デートで軽井沢や筑波にも行った。嫌な顔もせず一緒に出掛けてくれたと思う。運よくデート中には一度もエンコしなかったが、彼女には振られた。
 マイレージの中心は横浜と群馬の往復だが、O/H後25,000㎞で購入し、10年経たずにオドは一周しゼロに戻った。当時は5桁である。80,000㎞以上も乗ったのだ。
 人生の経験は全て記憶できる、と記録を付けなかった。でも、今思い出そうとしてもあやふやで、記録は残すべきだ。ただ、読み手は、記録には書き手の脚色が入るのを忘れてはならない。

 月曜早朝、群馬へ戻る目白通りでギアがローに入らない。まいったなあ。何の拍子か直ったので、止せばいいのに関越に乗り、サービスエリアで二度と発進できなくなった。
 初めて自力でエンジンを下ろしたら、パイロットベアリングがばらばらと落ちてきた。原因はクラッチディスクか、カバーだと思うが今もって不明で、くみ上げた記憶も残っていない。ただその時には部品は多少出た。今はレリーズベアリングしか出ないらしい。SUBARUはここ数年で過去車の補修品在庫を大幅に切り捨てた。
 帰宅するとウインドシールドが割れていた。理由は分からない。強化なので粉々だ。ダメ元で注文したら、なんと白ガラスの新品が出た(上級グレードのSTは青ガラス)。26,000円だった。別の車では走行中に割れたこともある。ウインドシールドは忘れたころに割れる。飛び石など集中荷重であっけなく割れるので予備を持っていて損はない。
 双方とも、何で整備工場に相談しなかったのだろう?人に頼まないのは陰キャでコミュ障だからである。でも、少しずつメカニズムや対処方法を覚えたから良しとする。
 EVAのバケットシートやスポーツハンドルを付け、ラリーハートにRE71(165/65R13:当時は65のスポーツラジアルがあったんだね)を組んだ。エンケイやハートはFtハブのベアリングケースがインローに干渉するので、ホイールを削るかスペーサを入れる必要がある。今見ると無国籍だが、当時は恰好いいと思っていた。のではなく、センスを模索していたのだと思う。

ラリーハートを履いたスバルは後にも先にもこれ一台だろう

 当初は、ラリーをやっていた会社同期とヒルクライムをやったくらいで、クルマ遊びやカークラブとも無縁だった。たまたまff-1クラブが雄飛荘で会合したのをきっかけに、スピリットオブスバルという上州系クラブに合流した。いずれも既に活動していない。代表がラッテストーンやJCCAのヒストリックカーレースに参加しており、筑波サーキットまで良く手伝いに行った。
 1997年オールドタイマー誌で、クラブを紹介した4ページ記事にこのクルマも出ている。仕事中に編集部から電話をかけてこられ、長々と取材されて閉口した。取材嫌いなのはそれからだろう。
 日光スピードパークで開催していたがれぇじアルティアのジムカーナに誘われて参加したこともある。スタートでキャブがぐずってしまったこと以外、全く覚えていない。その際ベレGRが山回りで横転した。ジャッキアップ現象か!と妙に納得した。また、倉渕のヒルクライムにも出た。
 競技の記憶はそれくらいだ。車高を下げることさえしなかったが、へたっぴがスムースに走れるのはノーマル車高だ。

 1997年に手に入れた2台目を動かそうと、赤いクルマから部品を一時的に外したりしているうちに不動になってしまった。勿体ないことをした。
 モノをぞんざいに扱い、いつもあとで後悔する。歳を取り、ようやく丁寧さを意識できるようになったが、もう終活の季節である。

歴代サブカーたちと。レオーネは双方ともライトバンです(もうない)
この状態で走りだすと、十中八九フードが持ち上がりとんでもないことになる

 次のクルマは岐阜の知り合いから買った後期型スポーツだ。機会があればまたお会いしましょう。

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