剽窃

 つれづれなるままに、ひぐらしパソコンにむかいて、こころにうつりゆくよしなしごとをそこはかとなくかきつづればあやしうこそものぐるおしけれ
と、書き出しに兼好法師をパクってみたら、同じことをしている先人が多くいることに気が付いた。人間、思いつくことは同じである。
 人生がヒマになったので、僕も何か表現してみようかなと思うのだが、思いつきで表現するのは「盗用・剽窃」やパクリにつながる場合もある。
 昔、某国の「国営(あれは実質公共ではない)」放送局が放送していた渋谷陽一氏の「サウンド・ストリート」で「著作権法リクエスト」という、よく似た曲をかける、というのをたまにやっていた。覚えているのは、キャンディーズのある曲を、スティービーワンダーの「愛するデューク」と比べていた。確かに似ている。残念乍らスティービーワンダーのほうが先だった。とはいえ、12小節のブルースなんぞは同じといえば同じだし、僕の好きなエルモアジェイムズのシャッフルなんて3連まで同じだ。当たり前か。
 意図的に「やる」なら、「バレないようにするテクニック」を勉強すればいいのだが、僕にはそんな根性はない。まんがやイラストが「トレース」しているかどうかなんて、ヒマ人がいればすぐ見つかる。サブカルであればあるほど、フィールドの狭さに対し「情報検索能力及び速度」X「処理端末の増大」がチェック能力を最大化させている。猫も杓子もスマフォでSNSという世の中だ。似ていても「どうでもいいじゃん」だが、誰かが「それで稼いでいやがって」と思えば「悪事千里を走る」じゃなく、今や「悪事地球を7回半回る速度で拡散する」のだ。通信だからね。この前、西川あやののラジオで、その動機は「ずるい」か「被害」かはたまた、と哲学をしてた。

 また、経験したことが心の奥底に醸造され「コンテンツ」が似てしまうことについても、さんざん先人が繰り返している。
 「マイスウィートロード」のパクリ裁判で、ジョージは多額の賠償を払った。脱線するが、日本人は民事裁判にも「お上が正義を決める」を求めている。それは遠山の金さんや大岡越前の見過ぎだ。それに対し、米国の民事裁判は、陪審員の半分以上を納得させて和解し紛争を解決することが目的なので、正義ではない。ジョージは意識下での盗用を認めたらしいが、本当にそうだったかは分からない。「ヘイジュード」の作曲はレノン=マッカートニーになっているが、ポールは「ラストダンスは私に」を聞きながら作曲した、といえば許されるのか。キングトーンズの「ラストダンスはヘイジュード」を聴いていること自体大瀧さんの思うつぼだが、同じ曲にしか思えない。「恋するカレン」の作曲者は大瀧詠一だが。僕にしたらこの曲はサーチャーズじゃん。細野さんが未来を求めていくのに対し、大瀧さんはルーツを求めてるだけだが。
 過去は未来と共に、現在に影響を及ぼしているのだから、その上でオリジナリティを出す、なんてことはイノベーション能力のない僕にはできない。「引用」とか言って、ここに影響されています、とでもいえばよいのかもしれない。
 でも、まったく意図的していなくても、人類が70億人もいれば、同じようなことを考えている人が何千人かはいて、そのうち何人かは表現するだろう。世の中には他人の空似は5人(テキトウ)いるというではないか。
 電話の発明はベルとグレイがほぼ同時に特許申請した話はウラがあったらしいが、例えば、親に「勉強しなさい」と言われて「今やろうと思ったのになー」というのはよくある話だ。

 ここまで述べてきて、今更、何を盗作、剽窃、というか定義が問題だと気が付いた。剽窃は、広辞苑には「他人の詩歌・文章などの文句または説をぬすみ取って、自分のものとして発表すること」とあるが、「ぬすみ取った」定義がはっきりしない。また文部科学省では、盗用を「他の研究者のアイディア、分析・解析方法、データ、研究結果、論文又は用語を、当該研究者の了解もしくは適切な表示なく流用すること。」とあるが、これは「パクる」前提であり、意図しないで同じ発想になった場合の定義がない。しかし、そこらにころがっている盗用防止対策の文を読むと意図しなくともダメ、となっている。でも、いくら探しても、「他人の考えや表現」が存在することが前提で、自分ひとりで推敲し行きついた考えが「偶然」同じになることについての議論はない。それは、そんなことはありえない、なんだろうか。他人の後出しか、自ら確認すべきだ、なんだろうか。
 今は盗作かどうかをチェックするアプリケーションがあるらしい。自分の文をコピペしてアップロードすると似たようなものがあるか確認してくれるようだが、レファレンスデータ以上のことはできないはずだから、プーチンや習近平がスイッチを押した後の世界を描いたネビルシュートが、初期に書いた、例えば「操縦士」のような、かかる作品やはありく。(そんな作品はあるだろうか、いやない。)
 僕がそのアプリなら、似たようなものがあってもなくても、「オナジブンショウガミツカリマシタ、トウサクデス」と出力して、相手には止めを刺して、その文をパクっちゃうだろう。疑り深いのもよくないが、それってそんな商売じゃないか。そうこう考えていたが、仮令この文章が偶然パクリだったとしても、それがバレなかった世界の僕が得をするわけでもないから、どうでもいい。
 しかし、アプリの出力が「オナジブンショウガミツカリマシタ、トウサクデス」は明らかに古臭い。今ならフキダシか。いや却って古臭いほうがマネっぽくないかもしれない。
 で、この文章は結局、盗用、剽窃しているのかしらん。

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