死んでしまった先輩

大学生の頃、少し好きだったサークル先輩の加藤さんという男性を誘いたくて、みかん狩りを企画した。
加藤さんは車で出かけるのが好きで、変わったイベントを企画すれば物珍しさで車を出してくれると思ったのだ。
メーリングリストというのが当時あって、そのアドレスにメールを送ると、登録している全員に一度で送信できる、全体連絡には便利なものであった。
そこにみかん狩りを計画している旨を流したのである。
思いは叶って加藤さんは参加希望の返信をくれたのだが、ほかにもみかん狩りの企画に乗ってくれた先輩がいて、それが松田さんだった。
松田さんは変わった人だった。同じ学年の性格のきつい先輩と長く付き合っていた。イケメンなのにいじられキャラで、天然パーマだからといってブロッコリーと呼ばれていた。穏やかで優しく話しやすい人だった。ゆらゆら帝国というバンドが好きだった。
みかん狩り当日は加藤さんが運転、わたしが道案内をして松田さんの持ってきたフジファブリックのTEENAGERを聴きながら秦野あたりの観光農園を目指した。
春先の寒々とした山々を横目に加藤さんは気分良く車を走らせ、わたしは助手席をキープして彼女気取りでご機嫌であった。
みかん農園は家族経営でこじんまりとしており、案内の中年男性から一人一枚ビニール袋を渡され自由にみかんを採っていいと言われた。
みかんの斜面は南向きで日当たりが良く、上着を脱いでもいいくらいに暖かかった。我々はその場でみかんをむしって皮を捨てて食べたり、袋に入れたり思い思いに楽しんだ。
そうこうしているうちに日が暮れて肌寒くなり、海老名パーキングで夕飯でも食べようということになり農家を退散した。
車を出してから加藤さんがこらえきれないという顔でにやにやしながら「あのさ、みかんのお金払わなかったよね?」と言った。
たしかに案内の男性はビニール袋を渡すとすぐに建屋の中にひっこんでしまったし、帰りは誰からも声をかけられず門をくぐって出てきた。
お金は払っていなかった。
我々は後ろめたさと得した気分でハイになり「若者のすべて」を歌いながらザクザクした歯ごたえのメロンパンをかじって帰った。

それから少しして松田さんは卒業して会社員になり加藤さんは修士課程へ進学した。わたしは変わらずバイト漬けの生活だった。
加藤さんと付き合うことはなかったがみかん狩りの思い出はわりと気分のよい思い出として心に残っていた。
ある日加藤さんからメーリングリストを通じて全体連絡があった。
松田さんが死んだという内容、お通夜の日程だった。
わたしはバイトが入っていてお通夜には行かなかった。
バイトの間ずっと考えていた。
社会に出るってそんなにつらいことだったんだろうか。性格のきつい先輩は恋人が死んでしまってどんな気持ちになっただろう。残された同期の仲間は。相談できる人はいたんだろうか。
そして、わたしは忘れてしまった。
それから数年後性格のきつい先輩を自由が丘で見かけた。相変わらず気難しそうにしていた。
みかん狩りの日、もしかすると松田さんが代金を立て替えてくれてたのかもしれない。
#エッセイ

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