祝福されるべき無知『高橋和巳全集5』(306-307頁)

 「姉の回顧は、同じ位牌の前にいる旧友たちの胸に残る故人の像とは重なり合わなかった。不意に家族の一員を失って、はじめて世人は同じ屋根の下に、見も知らぬ赤の他人が住んでいたことを悟るのだ。青戸の学生時代、当時、西村たちと行っていた研究会の一員に年上の女と同棲していた演劇青年がいた。彼はルイ・ジューベの歩き方やミッシェル・シモンの喋り方を真似たりして得意がっていた罪のない俗物だったが、自分が完全にその心を掴んでいると思い込んでいた妻が、ある朝、目醒めてみると同じ蒲団の中で冷たくなって死んでいた。彼女はある銀行に勤めていたのだが、彼にはその突然の自殺の理由が解らず、葬儀のすんだのち、彼女が共産党の秘密党員であったことが解った。以来、その男の表情から笑いが消え、人に会えば犬のように自信なく顔色をうかがう人間になった。そして、落第を重ね、酒に溺れ、打ちひしがれたように郷里へ帰っていった。彼の存在は床を共にしていた妻の精神とは何の関係もなく、彼はただ彼女の肉体の僅かな部分とつながっていたにすぎなかったのだ。心理学的に言えば、物がわかるということや、人を愛するということは、何らかの仕方で環境や他者と主体との間にある安定した構造が形成されることを意味するが、彼はあまりに深く傷ついたために、その構造の再形成の能力を喪失してしまったのだ。日頃、彼が気障で軽薄な男だったところから、皆はあまり同情せず、「あいつは阿呆だ」という程度ですませていたが、彼の誰にも訴えてゆくところもない絶望感――ある朝、目醒めてふと肌にふれようとし、秘密な部分に手を触れようとしたとき妻はすでに異物と化しており、しかもその死の理由が彼にとって全く手のとどかないところにあったことを知った時の絶望は、考えてみれば哀れである。人間の深淵を覗きこむには、、彼はあまりに善良すぎ齢も若すぎた。どの民族の神話にも背後を振り返ってはならぬという戒律を課せられ、それを破ったために最愛の者の異形の姿をみてしまったり、かけていた祈願が成就寸前に瓦解してしまう物語があるものだが、人間同士の信頼や家族間の情愛というものの、それがあるいは恐ろしい真相なのかもしれない。そして、そうしたことは気づかずに生涯を過ごせる人がいるなら、その無智はむしろ祝福されるべき幸福なのだ。」
高橋和巳「憂鬱なる党派」『高橋和巳全集5』(306-307頁)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?