お願いだから帰らないでくれ『高橋和巳全集5』135-136頁/144頁

「立場の違いこそあれ、この自信に満ちた秀才たちには、やみくもに友達を欲しがった醜男の、祈るような集団参加は理解できないだろう。政党だけではない。体の造りは大柄だったとはいえ、運動神経の鈍いおれが、厳しい訓練に歯を食いしばって蹴球部にしがみついていた理由も、彼らにはおそらくわかるまい』懐かしい音楽に耳を傾けるように岡屋敷は目を閉ざした。『おれは孤独な、人に好かれない男だった。いじいじといじけていて、、人の目の色を読むことばかりに気を使っている、ませた子どもだった。子どもの頃から、おれは醜かった。弟が産まれてからは、彼が学童疎開先で死ぬまで、両親からすらも、泣きわめかなければその存在を思い出してもらえないような子どもだった。幼い英雄主義も青くさい選良主義も、おれには縁がなかった。おれの少年時代の充実は弟の死による両親の愛の復活と、何かを見返してやる夢であり、繰り返してそういう場面を想像することだけだった。おれの友達もまた恵まれぬ家の子や醜い女の子に限られた。しかし、やはり、そうした自分を正当づけてくれる思想が欲しかった。この恵まれた男たちには金輪際わからないだろう。気のきいた会合をすぐに白けさせてしまう鈍重なおれの存在を、そのまま認めてくれる集団に磁石が引き寄せられるように近寄ったのであったことも。なぜ最後まで細胞活動を続けたのかという理由すらも』
  […中略…]
「その飴玉を私にも頂戴」と草むらの名も知らぬ小さな花の花粉を顔にあびながら彼女は言った。「ううん、そっちのじゃなくて、あなたが今、食べているの」
 あの貧しい女工は、今どうしているのだろうか。何を考え、何を悲しみ、どこをほっつき歩いているのだろうか。
 岡屋敷は抑制のできない怒りの発作に襲われて立ちあがった。
「君らは、君らは……」
この貧しい母親が二日分の日給を投じてつくった馳走を食べてゆく思いやりすらないのか。一言のお世辞で、この心貧しい女の饗応にむくいてやる気づかいすらないのか。岡屋敷は、部屋の閾のところでぼんやりと客人を見送っている肉親の痩せた背中を見、そして祈るように呟いた。
『どうか、みんな、お願いだから帰らないでくれ』」
高橋和巳「憂鬱なる党派」『高橋和巳全集5』135-136頁/144頁

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