三十女『高橋和巳全集 5』355頁

「・・・・・・あなたは昔からどこか可哀想なところのある人だったけれど、でも、やはりあなたは人間をなんとか信じようとなすっているからからこそ、試練にも出会えるんです。おかしな言い方だけれど、その点は羨ましい。神を信ずることのあつい、いえ、殆ど絶対的に信じるヨブだからこそ、アブラハムも試練を課したんですものね。あなたも学校の先生をしていらっしたことがあるからお解りでしょ。もう駄目だと見棄ててしまった生徒には、何の文句も言う気にはならなくなるものよ。あなたは、目には見えぬ世の中の何かから、恐らくは神様のようなものから、まだ見込みがあると思われてるのね。私は駄目。甘酸っぱい憂愁の種すら腐ってしまって、こちらから、世間なみの人生の仲間入りをさせて下さいって哀願しているようなもんだわ。民主化された、自由になったと人は言うけれど、それがどんなに偽物か、女が独身のまま三十になってみれば解りますわ。男の人たちは片輪を見るように私を見るし、でもなければ、自分の快楽の安手な材料が、もの欲しげに転がってるようにみえるのね。三十女は淫乱で、もの欲しげで・・・・・・そういう俗っぽい通念でしか私を見ない。そして気づくのね、突然に。見られている通りの存在でしか、人間はありえないんだってことが・・・・・・」
高橋和巳「憂鬱なる党派」『高橋和巳全集 5』355頁

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