美味いもの喰って寝るためだ

 あなたたちにとって生きるということは一体
 どういう意味をもつのか。あなたたちが、い 
 ま私の振りあげる斧によって頭をぶちわられ
 たとしても、それが一匹の蠅が殺されたこと
 と価値的に相違することを明証する根拠があ
 るのか、あれば百万言を費やしてでも言って
 みろ。その違いは、結局存在するものの形態
 が少しばかり蠅より大きというだけではない
 のか。そしてまた、その血と血漿が少しばか
 り多量であり、生臭く温かいというだけでは
 ないのか。」(高橋和巳「悲の器」『高橋和
 巳全集2』428-429頁)

 「私はその頃、アルバイトの帰りなど、よく
 古本屋に寄った。そして、漠然と目についた
 本を手にとって時間を過ごした。ある時は背
 表紙だけを眺めながら三十分、一時間と立ち
 尽くした。そういう時、私は題名を読むより
 は、むしろ、変色した紙や色あせた文字、手
 ずれやしみ、あるいはその本がもつ陰影と
 いったもの、を見ていたのだった。
  それは無意味な時間潰しであった。しかし
 私たちのすることで、何か時間潰し以外のも
 のがあるだろうか。それに私は私なりに愛書
 家でもあったのだ。」(柴田翔『されど我ら
 が日々』文春文庫)

 「――死!それは如何に荘重な、しかも、親 
 密な重みをもつて現代に響き渡ることだろ
 う。死は、青年の胸に甘美な、粗暴な、陶酔
 の歌を奏でる。現代は死の時代なんです。勝
 手にてんでばらばらに蠢いている奴等は、勿
 論、生を頑なに信じて、その響きを聞かぬふ
 りしている。他人はどうであれ、自身がとに
 かく生きているということ、それを唯一の保
 障として、気休めの生を送ってる
 ・・・・・・だが、それが何に支えられてい
 るかといえば、何もありやしない。ただ生き 
 ている――それだけです。ちょっ、いきなり
 通りすがりの者を捉えて、それが「役目」だ
 けを果たすあの哀れな裁判官でも好いが、こ
 う訊ねてみたら、どうでしょう!「君は如何
 なる理由で生きているのか?」とね。すると
 ーーそこに答えが與えられるどころか押し問
 答をする間もなく忽ち気狂だとでも思われ
 て、暗い、陰気な瘋癲病院へ送られてしまう
 のが落ちなのだ。あつは!少し優れた扇動家
 の課題は死の理由を正当に見つけることにあ
 る!死への必当然的な理由と保護の発見が「
 「選ばれた人々」の緊急課題になつている。 
 誰が最も優れた死を提示し得るかが、現代の
 最大の特質をなしているんです!それこそ、
 愚劣で崇高な危機の時代ですよ。生を保証す
 る何物もなくなつたのだ。おお、誰がそれを
 示し得るだろう。まだ誰もいないのだ!(埴
 谷雄高「死霊」『埴谷雄高作品集』137-
 138頁)

 「吾思う、故に・・・」云々。「生きるべきやら、死ぬべきやら、」云々。「人はパンのためのみに・・・」云々。
 存在しているとか、いないとか。存在しているとしたら、何故存在し続けるのか。存在することをやめないのか。他者を追いやり、踏みにじり、その血肉を貪り尽くし、多種族や種ごと絶滅せしめ、恥をさらし続けてまで「生きる理由」とは何か。
 怒りや悲しみ、他者からの呼びかけと応答にその根拠を探る思索者もいるだろう(根拠というより祈りのような衝動というべきか?)。市村弘正の言葉。

「しかし池澤が、主題に対してむろん仮設的であるほかない態度を次のように書くとき、私はほとんど同意する。

 終末が来るのを待つ間、何をしてもいい。な 
 んとかその到来を遅らせようと努力するのも
 もちろんいいし、ホモ・サピエンスという種
 そのものが失敗作だったのだからと諦めてお
 となしく暮らすのもいい。騒ぎまわって享楽
 に身を任せるのだって、あるいは人間的でよ
 いことかもしれない。終わってしまえばすべ
 ては等価である。自分たちの今までの営みに
 ついて、どこで失敗したのかについて、次に
 来る知性体のために記録を残すのもいいだろ
 う。そして、川のほとりに立って、流れを妨
 げるものを片づけるのも、他の動物たちのた
 めに、川そのもののために水が流れやすくす
 るのも、これも実にいい時間の使いかただ。
 どちらかというと、ぼくはそういうことを
 していたいと思う。この本を書いてある間し 
 ばしば、あのサハリンの老人の姿をぼくは見
 た。黒いパンと少しのなくと蕪と馬鈴薯を食
 べて、畑を耕して、残った時間を川辺で過ご
 す。それはそれでずいぶんいいことの様に
 思われる。

 静かな場所で地道に暮らしたいという、この呟くような言葉をしまいまで言い切ることは、しかし現実には容易ではない。それを遮る叫び声や引き裂くような言葉に、耳をふさぎつづけることはできないからだ。」
市村弘正『小さなものの諸形態』平凡社ライブラリー、90-92頁

 しかし、人類史とはすなわち、自分たちで傷つけあい、自分たちで傷を舐め合う歴史でもあっただろう。なんとも忙しい物語と云うべきか、暇な物語と云うべきか。少なくとも滑稽な物語であることは間違いないのだろう。
 果たして市村が祈るように「静かな場所で地道に暮らしたいという、この呟くような言葉をしまいまで言い切ること(・・・・・・)を遮る叫び声や引き裂くような言葉」は私に届いてくれるのだろうか。
 マスクを二枚配るの、配らないの。検察官の定年を数年伸ばすの、伸ばさないので争う政治。争続(相続)と呼ばれるような裁判、不倫や慰謝料や親権を巡り争う芸能人の騒音、等々はよく届くのだが。

 「汝ら法則に従い法則に死ぬものたちよ。人
 のあとを追うのでなければ、死文にしがみつ
 き、さもなければお互いに牽制しあって、小
 さな境界のうちに侵しあうことなく住もうと
 する人間どもよ。いや、猿どもよ。荒涼とし
 た大地を切り開きこれだけの幾何学的な建築
 をなしうる技術をもちながら、その建築物を
 裁判所と名付け、矮小な希望、いじけた欲望
 について、とり澄ました議論に憂身をやつす
 ことを矛盾だとは考えないのか。むしろ建物
 全体を暗黒の宮殿と化し、チェザーレ・ボル
 ジアのごとく大淫蕩に耽ることのほうが、ま
 だしもましだと思わないのか。
  富田よ。死せる富田よ。君はいつか、この
 世界から法を一切追放し、いっさいの外的規
 範を死滅せしめよと叫んでいた。君はその法
 なき地獄の、みずから法をつくりだす存在、
 欲するがままに行なって常に法たる超越者た
 らんとして苦行した。しかし、富田よ。いっ
 さいの権力、すべての束縛を棄絶してのち、
 みずからの力によって暗黒の世界へ一歩をふ 
 みだす人間がここにいるだろうか。過去の判
 例をその言説にちりばめ、揚足とりに得々と
 している弁護士、わずかな補償、小さな安息
 を願う原告、そして業務に疲労し、解放され
 ることを夢見ている書記、背後から命令の発
 せられることを待っている廷吏、さらに記憶
 した六法全書の頁を手探りし、ときおり自信
 なさそうにその解釈をわたしにたずねる裁判
 官に、さあ、自由だ、君たちは勝手に歩みだ
 せ、と号令したとき、彼らは歩みだすだろう
 か。自己の影に怯えて立ち竦むのでないだろ
 うか。」(高橋和巳「悲の器」『高橋和巳全
 集2』431-432頁 )

「なぜ生きるのか」。思想にかぶれた学生時分の際の私は父親を問い詰めた。母子家庭に育った高卒労働者である父は明確に言い切った。「美味いもの喰って寝るためだ」。当時の私が説得されたわけでも納得したわけでもなかったが、言い返す言葉はポケットのどこを探してもなかった。

 さて、学生時分の私ではなく、今現在の私ではどうか。当時よりも少しは知識もついた。知恵もついた。大小様々の経験も少しは重ねたはずだ。しかし悲しいかな。状況は何一つ変わらないようだ。結局「美味いもの喰って寝る」ために生きていると言い切った父親に何も言い返せないままだ。では逆に自分が問われたら?「なぜ生きるのか」。今度は自分が他人から問われる番だろう。「なぜ生きるのか」。

 親のスネを齧り、大学を出て、大学院まで出してもらって、結局は高卒労働者の父親と同じ言葉を繰り返すのみのようだ。しかも、父親よりも数段弱々しく。「美味いもの喰って寝るためだ、、、たぶん。」

 まあ、自分に限らず人類自体が「美味いもの喰って寝る」合間に、暇つぶしに罵り合い、癒しあい、幾何学的な建築物作ったり、他人を裁いたりしているわけだから、問題ないと言えば問題ないのかもしれないが。

 しかし、「暇つぶし」の合間に聞こえてくるはずの「それを遮る叫び声や引き裂くような言葉」に出会うかわりに、そのような「声」を遮って、政治を巡って右から左から「わっしょい、わっしょい」威勢のいいだけの掛け声、踊る阿呆に見る阿呆が口角泡を飛ばして罵り合う光景にばかりよく出会う。みんな「暇つぶし」に没頭しすぎて「暇つぶし」であることも忘れているらしい。もっとも、その「忘却」は幸せで祝福されるべき「忘却」かもしれず、「暇つぶし」に成功している勝ち組かもしれない。

 熱中できるこれといった「暇つぶし」を持たず、暇つぶしを「遮る叫び声や引き裂くような言葉」もほとんど聞き取れない音痴な自分は頑張って、死に物狂いで「美味いもの喰って寝る」ことを目指す必要がありそうだ。

 学生の頃は「目的」があればさぞかし人生充実すると思っていたがそうでもなかったらしい。目的は定まっても、手段が覚束ない。そしてシンプルな生き方が楽チンだとは限らない。少なくとも自分にとっては。
「美味いもの」が手に入らない。自分の料理のウデが悪くて素材を活かせない。料理できても今度は消化不良でお腹をこわす。よいシェフやレストラン、スーパーを探すのも一苦労だ。自分の見る目も心許ない。ポケットの中の懐具合も心許ない。

「生きるって、ただ、それだけで果てしなく厳しい。ーーおそらく誰にとっても。」

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