憤怒の代償『高橋和巳全集 5』92頁

どんな平凡な生活であっても、みずから破壊してみせて観念の代償を得なければならぬほど、生活は無内容なものでない。なぜなら、権力や策謀や社会の不合理を、難詰し指弾すべき根拠は、正義や愛の観念ではなくて、人々の生活の幅とその内実だからだ。どんな政治の幅よりも生活の厚みは広く、どんな宗教のドグマよりも生活の不文律はより重い。西村はみずからの保守主義をはじめて口に出して主張しようとした。だが、振り返ってみれば、繭からひきずり出された蚕のように彼は素手であり、素裸だった。彼の生活は、無益な、褐色の憤怒に蹂躙されて一箇の廃屋と化している。長い間かかって練あげてきた生活の規律、その規律をふんわりと包む生活の香りも、たちまちにして崩れた。そしてあとに残ったのは痩せ細ってわめきちらす妻と、小さな自分の手を吸ってきょとんとしている子供。そして、友達の慈悲にすがろうとする途方に暮れた青二才。これが、かけがえのないものと思われた憤怒の代償だった。
高橋和巳「憂鬱なる党派」『高橋和巳全集 5』92頁

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