世界の亀裂

世界のひび割れ。

退屈な日常。それも不意に出会う昆虫の写真でひび割れる。思想に出会ってひび割れる。少女の生活のための売春とエイズでひび割れる。普段と違う少しの運動でもひび割れる。

ひび割れから流れ込む新鮮な空気を吸ってようやく呼吸ができる。しかし、ひび割れはすぐに塞がり、退屈な日常へと回帰していく。

世界をノックし続けること。
亀裂を入れるためにはそれしかない。亀裂はすぐに塞がる。やるのは自分のみ。誰も代わりにはならない。分業も協業もできない。道具は貸してくれる。しかし、使うも使わないも、使い方も自分次第。

日々の繰り返しは、少しの虚しさと少しの安らぎを与えてくれる。しかし世界に亀裂は走らない。新鮮な空気が足りない。息苦しい。

最近は昆虫写真家から昆虫の愛し方を学んだ。彼らが撮影する写真や動画は昆虫への愛が溢れている。たんなる昆虫の新しい知識では世界に亀裂は走らなかった。「新しい知識」や「知識の増加」は世界の亀裂を保証しない。

世界をノックし続けること。色々な方法で。
叩く箇所、角度、道具、リズム、温度、等々。いつ、どこで、どのように、なぜ、世界に亀裂が走るかは予測できない。亀裂はできてもすぐに塞がる。

だから、世界をノックし続けるしかない。
私が読書を続ける理由であり、私の生存条件である。

市村弘正が言う「解放」とか「世界とのつながり」も同じような感覚なのかもしれない。

「たとえば中野重治が石井桃子さんの『子どもの図書館』から引用しています。「私は、この本を書くにあたって、『これからの子どもは、今までの子どもにくらべて、本を読まなくてもいいのか』という点では『読まなければいけない』という立場をとりました。」
 中野重治はこの文章に続けて「私は賛成する。事がらとして賛成するが、それとともに、あるいはそれ以上に、石井のこの書き方、そのいさぎいい書きざま、その美しさに賛成する。そこが楽しい」と書いています。ぼくもそういう立場をとりたいですね。
 かれらにならって言うなら、本は読まなければいけない。そうしないと、世界とつながれないし、解放されないし、楽しくないから。」
市村弘正「読むことと経験すること」『季刊 本とコンピュータ 2004春号』(84頁)

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