哲学とデモクラシー『デモクラシーの古典的基礎』56-57頁

「デモクラシーを言語・思考手続き・議論の方法の面から基礎づける作業は最も欠けているもののように見える。もちろん議論の公開性や論拠の明示といったことがデモクラシーに関わるということは広く認識されている。しかしそれだけであれば既に政治が備えるべき要件である。そのどのような特殊な精緻化が厳密な意味のデモクラシー概念を前提としているかということの証明の試み、また、何故そうしたことがデモクラシーを基礎づけることになるのかという論証、は見あたらない。まして、こうしたことが社会構造、社会を組成する繊維素、を形づくるということ、またそれがどうしてかということ、は研究されていない。否、議論の構造といったことを超えて、凡そわれわれの思考様式、観念構造、とデモクラシーがどう関わるか、どの特定の観念構造がデモクラシーを基礎づけるのか、といったことは、粗雑にしか扱われていない。「デモクラシーの社会構造」を探求する試みが決定的な点に至らない理由の一つはここにあると考えられる。
 こうした観点からして大変奇妙に映るのは広い意味の哲学である。哲学は明らかにデモクラシーと共に誕生しそれと運命を共にするはずである。ところが哲学は希にしかデモクラシーを対象とせず、この面で独創性を発揮しない。哲学を頂点として、デモクラシーと連帯の関係にある実に多くのことがデモクラシーと無関係に歩きそして混乱に陥り、かつまたデモクラシーを混乱に陥れている。確かにデモクラシーの概念が余りに陳腐化してしまったがために哲学や歴史学はデモクラシーという大きな共通の岩盤を意識しえなくなっている。しかし逆にそうした大きな岩盤としてのデモクラシーを明確に概念できれば、デモクラシーは初めて輝きを取り戻すであろう。
 哲学はあらゆることを最後まで反省の対象とし一点も残さない思考のことである。したがってデモクラシーをも対象とし、長いデモクラシー批判の伝統を誇る。しかしこうした思惟自体がデモクラシーを支える社会構造によってのみ広く発展するものであるということを忘れれば自己撞着と行き詰まりを免れない。」

木庭顕『デモクラシーの古典的基礎』東京大学出版会 2003 56-57頁

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