なぜ涙を流したのか『高橋和巳全集4』5-6頁/7-8頁

なぜ涙を流したのか。広大な新聞会館のホールのホールには式典ののちの映画試写を楽しもうとする数多い参会者がつどい、彼が呟きはじめるだろう言葉を待っていた。旧知の者もあるいは混じっていたかもしれない。真白なテーブルカバーが時折り写真のフラッシュに輝き、あふれるように花のもられた青磁の花瓶が、体を支えている肘の震えにともなって微風に揺れるように揺れていた。たしかに長年の労苦があり、回顧すればまた当然秘められた罪や悲哀にもふれねばならなかった。しかし今、参与者の期待しているのは個人的な悲哀の蘇りではなく、彼の年齢も場所柄をわきまえぬ抒情にはふさわしくなかった。
 本当はこの世のためを思ってした行為ではないと暴露すべきだろうか。それとも私の施設より巣立っていった若者たちの幸せは我が幸せでもあると、厚顔な常套句に自己韜晦すべきであろうか。
 最初に、栄誉をうける者として紹介されたのは東洋第一を誇るダム建設に新しい工法をあみ出した技師たちの一団だった。痩身の技術課長が代表として賞状をうけとったとき、拍手が会場の片隅からまず起こった。それは多分、本来なら代表者とともに壇上に居並ぶべき影の協力者たちだったろう。ひかえ目な拍手の音は、彼がなし遂げてきたことに比して小さすぎた。だが会場の片隅で、分かちあうべき名誉を子どもっぽく喜んでいる技師たちの表情は、卒業式の少年たちのように素直だった。代表者の敬礼もまた簡単で朴訥だった。つぎにスポーツ界に覇をとなえたバレーボールの女子チームが団体表彰され、意外に背丈の低い監督と圧倒的な体躯の団員一人が質素な服装で脚光をあびた。女子選手は美しかった。しかしそう見えたのは、控えの席から斜めにみている彼の審美眼が幾分、古風なものだったからかもしれぬ。監督がとつとつと話す訓練の経過には、また飾らずして、人をうなずかせるものがあった。スポーツは為すものにとっても、また見られる場にあっても常に透明なのだ。だが、順番がやがて彼にまわってきたとき、誇るべきなにものもそなわってはいないことを彼は唐突に自覚した。
[…中略…]
ああ、満州――と彼は思った。はじめの心づもりでは、まず謙虚な謝意をのべ、本来の事業はすでに任務をおえたこと、精神薄弱児収容所へと施設を転換するためにこの副賞は使用されるであろうこと、そして要するに人間がいくぶん感傷的にできているための世すぎであることを軽い諧謔の調子で述べるつもりだった。だが、感謝の言葉を口にしようとして、はやくも彼はつんのめった。形式的に置いてあるにすぎない水挿しから水をくもうとし、そしてコップに小さな埃が浮いているのを彼は見た。彼の目にはその埃が蠅の死骸のように見えた。何秒くらい、じっとしていただろうか。
 目の前が急にぼやけ、何も見えなくなった。
 夜の船から見はるかす海のうねりのように、音と湿気と気配のみある深い広がりが、そのとき彼の目の前にあるすべてだった。
――内地にひきあげてきて以来、俺の人生は本当に虚無だった。今の俺は形骸にすぎない。そしてその形骸を称賛しようとするあなた方は、悪意の者か、でなければ虚偽だ。……彼の思弁は式場の雰囲気とは無縁に堂々めぐりした。この壇上にのこのことあがった、耐えがたく俗化した自己。それを薦めた人々、そして拍手の機会をまっている人々、あなた方の道徳もまた恥ずべきだ。はなつべき言葉も忘れ、そして不意に彼は醜い中年の涙を流したのだ。
 なぜ涙を流したのか。

高橋和巳「堕落」『高橋和巳全集4』5-6頁/7-8頁

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