AIデバイドと普及学:テクノロジーが招く格差とその対策

はじめに

2023年に入り、AIの発展と普及が私たちの生活を劇的に変革するのではないかという議論が盛んに行われるようになってきました。楽観的な予測がある一方で、AIのような革新的技術には、実は負の側面として、社会的格差や経済的格差を助長する性質が潜んでいます。社会的・経済的に強い人々が新技術をより早く採用することでさらに強くなり、結果として格差が広がるという現象は、歴史的に何度も繰り返されてきました。例えば、インターネットやパソコン等の情報通信技術がもたらす格差拡大が「デジタルデバイド」と呼ばれ、問題視されています。AIの発展が目覚ましい現在、AIがもたらす格差拡大は十分懸念される事項であり「AIデバイド」と呼べる現象の発生が危惧されます。

この記事では、1960年代にスノーモービルの普及がラップランド人にもたらした悲惨な結果を事例としてまず取り上げ、新しい技術の普及がときに予想外の悲劇を生むことを見ます。続いて普及学の知見から、新技術が格差を拡大させる理由とその対策、気を付けるべきその他の事項についてご説明します。

スノーモービルという新技術が災厄を起こした例

1960年代に起きたスノーモービルという新技術の急速な普及は、フィンランドのコルト・ラップランド人に悲惨な結果をもたらしました。今になって振り返れば、スノーモービルという新技術の影響評価は1960年代のうちに実施されるべきでしたが、実施されることはありませんでした。

スノーモービル普及前の状況

  • ラップランド人はトナカイを中心とした文化と生活を営んでいた。

  • 具体的には、トナカイの肉が主食で、トナカイのソリが主たる輸送手段であった。また、トナカイの皮で服や靴を作り、余った肉を売って小麦粉や砂糖、茶を買っていた。

  • 社会は平等主義的で、それぞれの世帯はおおむね同じくらいの数のトナカイを飼育していた。

スノーモービルの良い影響(望ましく、直接的で、予期される影響)

  • トナカイのソリで往復3日かかっていた買い物が5時間で済むようになった。

スノーモービルの悪い影響(望ましくなく、間接的で、予期されない影響)

  • スノーモービルの騒音と排気ガスの悪影響で、トナカイが以前と同じようには子供を産まなくなった。

  • 地域で飼育されているトナカイの頭数が4分の1以下に激減した。

  • ラップランド人世帯の3分の2は、トナカイ飼育を完全にやめてしまった。しかも、ほとんどの人は他の仕事を見つけられずに失業し、政府からの最低生活費給付に依存するようになった。その一方で、必需品となったスノーモービルの購入費と維持費(燃料代や修理代)のために借金する人も現れた。

  • 比較的早くスノーモービルを購入した一世帯が、地域で飼育されているトナカイの3分の1を所有するに至った。

社会経済的格差が拡大する理由

上述のスノーモービルの例に限らず、新技術の普及は、一般には社会経済的格差を拡大させます。その理由として、社会経済的地位が高いほど、情報入手や資金などの面で有利であり、新技術をより早期に採用しやすいことが挙げられます。こうして、もともとあった社会経済的地位の差が、採用時期の違いを生み、格差をさらに増大させるのです。

格差を縮めるための戦略

新技術の普及が格差拡大を招かないように、むしろ積極的に格差を縮小させるために、社会経済的に弱い立場の人々へ向けて、以下の戦略を用いることが可能です。

  • 弱い立場の人々へ向けて情報発信を最適化する:図や写真を用いたり、言葉の選び方を工夫したりすることで、弱い立場の人々にとって分かりやすい情報発信を心がける(例:中学生程度の学力があれば理解できるように記事などを編集する)。また、弱い立場の人々がどのように情報を入手しているのかを考慮して情報の流し方(情報媒体の選択など)を工夫する。

  • 弱い立場の人々の中にグループを作る:弱い立場の人々を小グループに細分化して、新技術について学び、話し合う機会を作る。グループとして、聴く、議論する、行動することを促す。小グループの形成によって、経済的・政治的・社会的な力を獲得できる。

  • 弱い立場の人々の中からオピニオンリーダー(その集団の中での影響力が強い人物)を探し、集中的に接触する

  • 弱い立場の人々の中から、補助者(新技術の普及をコミュニケーションの面などで補助してくれる人)を選び協力してもらう

  • 弱い立場の人々にとって適切な技術や方法を推奨する:研究開発活動において、弱い立場の人々が抱えている問題を解決する技術や方法の創出に努める。

  • 新技術の採用に必要な資金・資源の世話をする社会組織を作る

  • 新技術の普及プログラムの計画や実行に、弱い立場の人々が参加できる仕組みを設置する

  • 弱い立場の人々だけのために普及活動を行う機関を設置する

気を付けるべきその他の事項

  • 望ましくなく・間接的で・予期されない影響にも目を向ける。なお、望ましく・直接的で・予期される影響と望ましくなく・間接的で・予期されない影響は通常同時に進行する。こららの影響は通常は分離できない。

  • 新技術の「見た目」や「機能」だけでなく社会的な「意味」についても考える。この「意味」とは、新技術に対して人々が持つ主観的で、ときに無意識的な知覚のことである。外部からやってきたものに対し人々は新しい意味を付与するが、この新しい意味は外部でもともと与えられていた意味と関連性がないことがある。

  • 安定均衡(変化速度ゼロ)でもなく、不均衡(変化が速すぎて社会システムが適応できない状況)でもなく、動的均衡(対処可能な程度に均衡の取れた変化)を目指す。

おわりに

本記事では、普及学の知見を通して、テクノロジーには格差を拡大する傾向があり、実際に悲劇を生んだことがある一方で、格差拡大を防ぐための対策も存在していることを示しました。

特に、新技術の普及において動的均衡を目指すこと、つまり、社会システムが適応できる範囲に普及速度を収める努力については、もっと関心が向けられるべきだと感じています。AIに関しては、ともすると、全面的禁止と全面的推進の二極化した議論が展開されがちですが、その間にある適切な動的均衡を探る議論はもっと行われて良いはずです。

最後に、この記事がAIデバイドに対する注目を高めるきっかけになり、さらなる議論や行動を促すことを願っています。私たち全員が、AIデバイドの克服と社会経済的格差の縮小に向けて共に声を上げ努力することで、より公平で豊かな未来を築くことができると信じています。

参考文献

この記事は、以下の書籍の第9章「イノベーションの帰結」の内容に基づいて製作しました。

エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳「イノベーションの普及」翔泳社、2007年

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