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ツバメ界の法則、人間界で読んだなら

巣から落ちてしまったツバメ

ハーブを扱う素敵なお店に、にぎやかなツバメの巣があった。買い物をしているとお店の奥様の視線が「あっ」と言った。つられて目をやると、小さなツバメが1羽地面に落ちていた。

奥様によれば、成長が良くないツバメは巣から落ちてしまったり落とされてしまったりすることがあって、それが自然の摂理なのだという。

地面に落ちたツバメは小さい声で鳴いてみたり、羽を広げて飛ぼうとしてみたりしているけれど動けないまま。親ツバメは落ちた子の気づいてか、巣を見上げる奥様と私を警戒するように飛び回っていた。

奥様は迷われながらも、ツバメをそっと巣に戻してくれた。

巣の中でみるとやはりそのツバメは少し小柄だった。しばらくして他のツバメと同じようにピーピー鳴いて口を開けて、親ツバメからごはんをもらっていた。

自然の摂理があるとはいえ、ツバメが救われたことにほっとした。

人でも鳴ける?

巣の中には、落ちたツバメの他に3羽がいた。1羽が地面に落ちている間も、当たり前と思うけど「どうする?」「やばくない?」みたいな雰囲気は巣の中にはなく、みんな元気よく鳴いて親ツバメからごはんをもらっていた。

これが自然界で生き残る力なのだろう。

命をつなぐ、生き残るタフさってこういうことなんだろうな。

わたしがツバメだったらどうだろう。声は小さいし、チャキチャキしていないし。餌をくれとちゃんとアピールして生き残れるのだろうかと考えてしまった。無理そう…そう思ってグレーっぽい気持ちになった。生きる本気度、主体性を問われているような気がした。

ツバメ界の法則をそのまま人間界にスライドして、「大きな声を出したものだけが生き残る」ということにはならないだろう(ツバメだって声の大きさだけでアピールしているわけではないかもだけど)。でも、人間だって、自分を表現することで存在を誰かに伝えて肉体や精神に栄養を与えてもらって生きることができる。全く同じではないけど、遠くもない。

表現を、声の大きさだけで競わなくていいことが、人に生まれてツバメに出会った私には大きな救いだなと思った。

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