「可愛い」と「推し」を考える

★「可愛い」を考える


芸人さんに対する「可愛い」という感情の出所はどこなんだろう。


漫才している姿が楽しそうで「可愛い」。
コンビ間や他のコンビと仲良さそうで「可愛い」。
SNSで発信される写真を見て「可愛い」。


日々「可愛い」な、と思う。



でもどうして「可愛い」と思うんだろう。


アイドルでも俳優でもなく、ビジュアルや関係性で売るつもりはないのは明白。
そんな人たちに対する感情が可愛いというのはどうなんだろう。
あと本人たちがおじさん自認しているのに可愛いの矢印を向けすぎるのもな…とも思うし。


そもそも好き!可愛い!格好いい!という感情を対芸人さんに安易に向けていいのかも分からない。


あと意図的な「可愛い」にも怯えてしまう。

雑誌やらテレビやら本人以外の大人の手が加えられたメディアからほら!可愛いでしょ!こういうの好きでしょ!というゴリ押しを見せられると、これは安易に「可愛い!」と大手を振って消費していいものか…とたびたび考えさせられる。

本人たちがやり切ってくれたからこそ世に出ているものと言われたらそうなんだけど。


本人たちの意思がきちんとそこにあるのかが妙に気になる。



芸人さんに対して「面白い」以外の感情を抱いた瞬間の小さな罪悪感が積もり積もって行きどころをなくして日々のたうち回っている。


この暗澹たる思いは出井さんのスレッズを読んでからさらに加速した。

出井さんのThreadsより


出井さんは何に対してこう言ったんだろう。


真相は本人にしかわからない。

だけど、好きな芸人さんに不気味な消費に加担している存在だと思われないように、いつの間にか気付かぬうちに不気味な消費に加担しないよう気をつけないといけないと思った。



こちらは所詮ただの趣味。

勝手に好きになって、勝手に応援して、勝手に感銘を受けて、勝手に色々考えているだけ。
飽きたり環境が変わったりしたらいつでも手放せる。


だからこそ、消費する立場として真っ当でいたいと思う。


何が真っ当かはまだまだ掴めないけど。



★「推し」を考える

お笑いに足を突っ込み始めて2ヶ月ほど、色々な媒体に触れるうちに聞き慣れない言葉がかなりあることに気づいた。

その代表格だと思うのが以下3つ。

2ヶ月間で得た知識を総動員して自分なりの意味を残しておく。
間違っていたら教えてください。


・ニンが出る:ネタやトークスキルにその人らしさが滲み出ること

・しがむ:何度も同じボケやツッコミ、話の流れを擦ること

・かかる:ネタやトーク中に調子が良くなりすぎて止められなくなること



どれも芸人さんの口からよく聞くわりに他のジャンルではあまり聞いたことがない。
というかたぶんお笑いの世界でしか伝わない言葉なんだと思う。


そのようなジャンル内特有の言葉はきっとどのジャンルにも存在する。
各ジャンルで独自に発展してきた言葉は元の言葉の意味を離れて独自の意味を持つようになる。
(例えばアイドル界隈における他界・マサイ・地蔵・おまいつ等)



ところが近年ジャンルを問わず縦断的に使われるようになった言葉がある。


それが「推し」。


言葉は大衆に受け入れられる過程でその言葉の持つ害悪性がなくなり、なんだかとても綺麗で素敵で可愛らしいもののように思えてしまう。


「推しは推せる時に推せ」という言葉がとにかく嫌いだ。
この言葉を聞くだけで虫唾が走る。

だって推しは「推せる」タイミングだから「推す」のではなく、今この時この瞬間に「推す」しかないからこそ「推す」べきだから。



この言葉はよく有名なアイドルやタレントが活動休止や芸能界引退を発表するたびに使われる。

落ち込む該当のオタクたちを尻目に、全く関係ないオタクたちが「だから推しは推せる時に推せってことだね!」と言う、というような具合で。


でも自分の好きの気持ちが切れたり推しがどんな幕引きを迎えるかを気にしながら応援するのって楽しいんだろうか。


気になって、気になって、気になりすぎて、もう訳が分からなくなって、激情を抱えて、そんな己の感情ひとつで「推し」とともに今を生きている(と勝手に思い込む)ことこそ「推し活」ではないか。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?