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表現するということ、とか。

読書体験〜おやこでおはなしおえかきを実施しました!

年があけてすぐのこと。おはなしを聴いて、おはなしを絵にしてみるっというイベントをさせていただきました。 

1)ちいさなおはなしを一つ聴く(プロのナレーターの声で)
2)ちいさな感想や覚えているワードを発表する(プロのエデュケーターの導きで)
3)ちょっと音を聴く(プロの打楽器奏者の音で)
4)音を色や形にして描いてみる
5)少しだけ長いおはなしに打楽器で音を付けて読んでもらう
6)聴きながら、テキストの気になった部分に付箋を貼ったりマークをつけたりしてみる

7)描く担当を決める
8)満足するまで描く
9)みんなの絵を紙芝居にしながら、最後にもう一度おはなしを聴く
10)それぞれの絵ごとの、子ども時代の絵の特徴を解説

作品を仕上げて解散!

あー満足!
なんて素敵な時間だったのかな。

表現するということは?

自由に描くということは、今の御時世簡単な事ではありません。
何をどう考えたらいいのか、世の中にはたくさんの正解がありすぎて、親も子も、本当に大変なんです。

そして、表現するということは「なんでもOK」という意味ではありません。

プロのナレーター、プロの打楽器奏者、プロの導き手 
「表現のプロによる表現」
も、たしかにあるのです。
 
そして、プロだから至上であり完璧である、ということでもありません。

プロは、自分なりの型を、自分の技術で表現する術を持った人ということなので、あくまでそのジャンルの中でお金をもらうことを誰かに認められた人というだけなのです。

だから、たとえ同じくらいの格のプロでも、人が変われば違う表現だし、それを「どっちが好き」と言うのは、受け取る人がそれぞれに決めるものなのです。
それぞれが決めるから、誰かの批判や批評、時に酷評があるのは当たり前で、プロとは、そういう他人の判断を自分の表現の改善に活用していける人、と言い換えてもいいかもしれません。

子どもは、本来自分の描きたいと思うものを心のおもむくままに描く天才です。

プロ(それでご飯をたべるお仕事)じゃない。

だからこそ、自由なのです。

自由に、思うままに。
大人の思う「上手」に囚われず。

ただ、体験としては時にプロに触れ合って、本物の表現を身体で感じてほしい。

私の描きたいのは、ただ、そういう時間なのです。

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