印刷作品販売について

デジタル、写真、版画で制作活動をしている皆さん、作品の印刷物をどうしたら作品として売ることができるのか、悩んだことはありませんか?

 デジタル作品や写真、版画は絵具等で描かれた手描きの作品とはことなり、外観を全く一にするものを工業的に大量生産することが可能です。それゆえに、一点物の作品よりも作品単価が下がりがちに・・・。作品のポストカードなのか、作品がポストカードなのか、あやふやになってしまうことも多くありそうです。というかもはや、コンビニプリントで実質無料頒布!なんてこともありますよね(それはそれでファンとしてはうれしいですが、一方で「貢がせてくれ!!頼む!!!!」という気持ちも)。


 印刷技術は、同じものを効率よくコストをかけず大量に印刷し、広く販売することで利益を上げるためにあるといっても過言ではないので、印刷と切っても切れない関係のある美術ジャンルにおいては、その負の側面「作品なのに安すぎる」問題がしばしば起きてしまいます。
ここからは、そんな大量生産が生んでしまった負の側面をいかに解消するのか? 現在行われている、作品1枚1枚の価値を高める方法を三つご紹介します。
(※ここでいう「価値」は作品単価、販売価格を指します。大量生産品であるから、作品鑑賞による体験の価値も下がってしまうとか、作品それ自体が持つ良さが損なわれてしまうとか、そういう話ではありません。もちろん大量生産には大量生産の良さがありますので。)

 まず一つ目。ずばり、「印刷物それ自体を高価なものにしてしまう」。どういうことかというと、とにかく優れたお金のかかる印刷技術でもって作品を出力することで、刷り上がった作品の価値を上げようということです。すなわち家庭用コピー機、コンビニプリント、安価なポスター印刷などではなく、お金はかかるけどとにかく品質の高い印刷方法を選択するということです。具体例としては、ジグレープリントがあります。


 ジグレープリント? はて聞いたこのない名前だなと思われた方もいらっしゃることでしょう。私も最近知って、「どこかの民族の版画技法か?」となりました。ジグレーは、デジタル・リトグラフとも呼ばれる印刷技術で、アナログな版画技術から発生した技法です。版画技術ではありますが、版は作りません。スキャナーで印刷したい作品を取り込み、それをインクジェットプリンターで刷り上げる技法になります。「それただのコピーじゃーん!」と思われるかもしれませんが、侮るなかれ。ただのコピーではないです。ジグレーはすごい。


 まず、印刷に使用するインクがすごい。一般に、家庭用プリンターで使うインクは染料系ですが、こちらでは顔料系を使用します。つまり、絵具に近いインクを使うってこと。家庭用プリンターでやったら、ノズルが詰まると思います、インクの粒子が大きすぎて。加えて、このインクは光に強いです。印刷後200年は退色しないと言われています(このインクができてから200年経過していないので、実証済みではないのですが、理論的には200年イケルらしい)。かのピカソでさえ、絵具が黄変してしまうことを嫌がって「青の時代」をつくってしまったらしいというのに、これはすごい技術の進歩。


 それから、職人さん(※印刷オペレーター)の技。これも捨て置けません。原画の色彩を忠実に再現するために、何度も色彩調整を行うそうです。家のプリンターでポストカード刷ったら、「え! モニターで見てたのとぜんっぜん色違うんだが(混乱)」ってなったことありませんか? 私はあります。しかし、ジグレープリントならそんな心配はご無用。色彩を忠実に再現してもらえます。しかも、使うのは顔料インク。実質絵具。クオリティが違いますね…。
 印刷にかかるコストが違う。印刷物の仕上がりが違う。すなわち、作品の仕上がりが格段に違う。当然ですが、印刷した作品の価値、上がります。上げざるを得ません。

 二つ目の方法。それは、「作品の希少価値を高めること」。一つ目が作品制作の質・コスト向上によって価値を上げる方法であるならば、ふたつ目は、「作品を限定商品にしようぜ!」ということになります。「買えるのは、今だけ!」、「材料仕入れの都合上、限定10名まで!」と、どこかのテレビショッピングのナレーションが聞えてきそう。
 具体的に何をするのかというと、察しが付くとは思いますが、印刷部数の上限を決めてそれ以上は印刷しないようにします。活版印刷術やらシルクスクリーンやらリソグラフやらオンデマンドやら、世の中に数多とある「版を使った印刷術」のおかげで大量印刷ができるようになったわけですが、あえて、印刷部数に上限を設けます。そうすると、作品のレア度が上がりますね? そういうことです。


 「え、でも版があるんだから、あとから増刷できちゃうじゃん?」と思った方。鋭いですね。鋭いです。しかし、ご安心くださいまし。過去の人類が先手を打っています。
それが、「エディションナンバー」。別名シリアルナンバーとも呼ばれますが、「上限部数を超えて印刷することは絶対ない」ということを示す記号です。通常、版画作品の画面左下に「19/200」というように記入されています。分母は上限部数、分子はそのうちのどの印刷物なのかを示します。ちなみに、分子=何番目に印刷した作品か、を示すものではありません。あくまでも、「ほんとに200枚だよ~」ってことを確認するために振ってある数字です。


 「え、でもエディションナンバー導入したとて、版があるんだから(以下略)」と思われた方、鋭いですね。鋭い。だがしかし! ご安心ください、先人が手を打っております。


 実はこのエディションナンバー、用いるにあたって一応ルールがあるんです。それは、「上限部数を印刷したら、廃版にすること」。どうにかこうにかして、版を使い物にならない状態にします(版画技法によって廃版の方法が異なるので、気になる方はぜひ調べてみてください)。さらに、1960年の第3回国債造形美術会議では、廃版が完了した証拠として記録を残すことについて合意がなされています。これで、「限定100部っていいながら、いつの間にか増刷している」問題は解決ですね。
 
 三つ目。これは、「印刷物なのに、1点物」という印刷物の自己矛盾を抱えたハイブリッドな作品づくりになります。基本、版画の方の参考にしかならない気がするのですが、もしかしたら写真の多版多色刷りに興味のある方やデジタル絵画をレトロに仕上げたい方、作為だけでは表現できない作品を作りたい方の参考にもなるかもしれません。
最近、海外でじわじわと広がりつつあるのが、「リソグラフ」。リソグラフ作品制作を行えるリソグラフスタジオなんていうのもあるようです。
リソグラフ自体は学校やオフィスで目にしたことがあるのではないでしょうか。


リソグラフというのは、理想科学工業が開発した孔版印刷を行うための印刷機です。アンディ・ウォーホルで有名なシルクスクリーン印刷も孔版印刷ですよ。リソグラフでは、マスターと呼ばれる薄い紙に穴をあけて作った版を使って印刷します。なので、一度に印刷できる色は、インクジェットプリンターとは異なって1色(2色刷りできるものもあるようですが)。なので、一般的な版画のように色ごとに版を分けてつくり、印刷していくことになります。まずは手書き原稿をスキャン、あるいはデジタルデータを読み込んで版を作ります。そしてその版を使って1度目の印刷をします。一度印刷した紙を乾かし、別の版を作って印刷し、という工程を何度も繰り返し、作品が出来上がっていきます。


職場等でリソグラフを使った経験のある方はご存じと思いますが、リソグラフでは印刷位置を細かく設定することが出来ます。だから、同じ版を使っていても、設定一つで出来上がる作品の見た目が異なってくる。「印刷物なのに、1点物」が実現できちゃうわけです。しかも、まぁこれがリソグラフの安価な印刷機という印象を醸す要因の一つだとは思うのですが、印刷するとわりと色ムラやかすれ、そもそも印刷できずに白い線が・・・みたいなこともよくあります。これがまた作品の味になりますし、言ってしまえば偶然起きたハプニングなので、まさに1点物。その1枚にしかない魅力が宿ります。印刷物・印刷機の特性を生かした作品制作というのもあるのですね。(気になった方は、Instagramで「#risograph」をご覧ください!)

 さて、幻の四つ目。「コピーである事自体に価値を付与する」。これ、作品のコンセプトがごりっごりに強い場合でないと成立しないのですが、やりたいと思った方は是非どうぞ。永戸鉄也さんのアートプロジェクトで、永戸さんが作ったモンタージュ作品を、中国の贋作村で改めて油彩で描いてもらって、その油彩画を日本で展示するという、なかなか「??????」な作品展が、今年の初め頃に行われていたようです。そもそも誰かの制作物だったりしたものたちをモンタージュして1枚のデジタル作品に、それをさらに他の人たちにアナログ作品として描いてもらって、んでもってそれを作者名「永戸鉄也」にして展示するという…。「作者とは?」「贋作とは?」「オリジナルとは????」と脳が宇宙を感じてしまう、そんな作品の在り方もあります。  


例として妥当ではなかった気しかしないですが、言い訳させてください。そもそも大量生産できちゃう印刷物問題っていうのは、根っこに「オリジナル信仰」「作者信仰」というのがあると思うんです。作者が作ったものでなきゃだめだ、誰かのまねではだめだ、オリジナルこそが評価に値する・・・。でも実際、作品を作る時って、いわゆる「作者」以外も制作に寄与していることがあるじゃないですか。オリジナルも何も、まず自然や他者からの影響、他の作家の技法から受ける影響などなど、制作を振り返ってみれば、自分が完全に独立して作品を作ったって胸を張って主張できる作品ってあるのでしょうか。肖像画でさえ、誰かのお顔を拝借しているではありませんか! 作品を評価するとき、名前が挙がっている作者以外の人々の功績も知る、認める、称える、評価する。そうすることで、写真や版画、ここ数十年発展のめざましいデジタル作品たちを「作品」として扱えるようになるのではないでしょうか。と、私は思っております。

最後に
近年、とくにデジタルやデジタルとアナログをミックスして制作された作品の展示・販売手段として「デジタル原画」や「キャンバスプリント」が選択される場面が増えている印象があります。私が好きな作家さんでも、水彩で描いたものをデジタルでさらに編集・加工・加筆してネット上で発表し、個展の際はキャンバスプリントして展示・販売されている方がいます。ただの(?)紙に印刷するより、キャンバスに印刷されているほうが「作品らしさ」が強調されます。やはり、紙印刷だとポスターやチラシのような安価な印象を与えてしまうので…。一方で、大正・昭和の印刷物のようなノスタルジックな作品を制作されている方であれば、あえてただの(?)紙に印刷することを選択して、世界観をより強調していくということもできそうです。作品制作は、描いて終りではありませんよね。展示の際、販売の際、鑑賞者にどのような印象を与えたいか、何を伝えたいか、どんな世界観に没入してほしいのか。そんなことも考えながら、作品の印刷についても考えていただけますと幸いです。

ピカレスクインターン
松尾美佐希

参考
ジークレートは/ジークレー・ド・グラフィック-ネット印刷は【印刷通販@グラフィック】 

世界中のアーティストが夢中になるリソグラフを体験!武蔵小山のリソグラフスタジオ『Hand Saw Press』 

「RISO IS IT」


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