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ピカレスクってどうして普通じゃないの?〜小山登美夫ギャラリーと比べてみた〜

 Picaresqueでは、去年もギャラリーらしからぬ出来事が沢山起きました。アートを囲んでみんなで手作りカレーを頬張った「Picaresque感謝祭」や、早朝に淹れたての美味しいコーヒーを提供するイベントなど、様々な方を巻き込んで、多様な活動に取り組んできました。また、普段の営業でも、いわゆるアートギャラリーとは違った会話が沢山ありました。中学生のお客様がお小遣いを叩いて作品を買ってくださるなど、作品にまつわる素敵なストーリーが毎日のように生まれた一年でした。

 そんなPicaresqueですから、人によっては、「へんてこなものばかり揃えた雑貨屋」のような感覚でいらしてくださったり、はたまた、「アート好きが集まるゆるい集会所」のような場所として使ってくださったりと、お客様一人一人が、Picaresqueというまだまだ未完成なギャラリーを、良い意味で都合の良いように解釈してくださっていたように思います。Picaresqueのスタッフも、「見ているもの・気に入ったものがたまたまアートだった」というくらいの関係っていいな、というマインドで、ギャラリーで起こるギャラリーらしくない出来事をいつも嬉しく思っています。

 ただ、それでも、Picaresqueはあくまでアートギャラリーであり続けたいと思っています。アートに馴染みのない人にとって、アートギャラリーというと、辛気臭くて、アートを知らない人にはとても冷たくて、近寄りがたいというイメージがこびりついているのではないでしょうか。でも、アートギャラリーは、決してアート専門家のための場所ではありません。そして、入り易さでいえばまだまだ不器用なギャラリーが多いですが、「絵を売る」ということに関していえば、やはりよく考えられた環境なのです。

 アートは大量生産ができないため、普通の商品のようなマーケティングが通用しません。また、作品を安く買って直ぐにオークションで高く売ってしまう事がないように、アートを売るまでにはお客様一人一人との対話が必ず必要になります。アートを取り巻く複雑な環境の中、ギャラリーというのは実は様々な工夫がなされている場所なのです。

 ですが、Picaresqueは、正統派なアートギャラリーとはかかなり違っています。室内はオルゴールのメロディがかかり、一言でアートといっても、カレンダーやアクセサリーから大きな絵画まで、多種多様な作品が部屋一面に飾ってあります。

 そこで今回は、有名な現代アートのギャラリーとPicaresqueを比べてみることで、Picaresqueが他のギャラリーとどう違うのか、検証してみたいと思います。既存のアートギャラリーといっても有名なギャラリーは数多ありますが、今回は小山登美夫ギャラリーを例に考えてみたいと思います。

 小山登美夫ギャラリーといえば、アート業界では知らない人はいない名の知れたギャラリーです。オーナーの小山登美夫さんは、お花などのポップな作品が有名な村上隆や、女の子の絵が特徴的な奈良美智といった、今や世界的な日本人現代アーティストを発掘した方としても有名な方です。

 そんな小山登美夫ギャラリーが誕生した頃というのは、実は、日本で現代アートのギャラリーがようやく根付いてきた時期でした。そもそも、独自で企画展を行うような現代アートのギャラリーが日本ででてきたのは1960年代頃。そこから、1970年代から80年代にかけて、バブル期の日本では美術館建設が盛んに行われ、美術館に絵を売るようなギャラリーも多く出てきました。そして、小山登美夫ギャラリーができたのは、そんなバブルのはじけた1996年の時です。大きな時代の流れでみれば、バブル崩壊後の、アートマーケットも不景気の真っ只中にいた時期に、小山さんはギャラリーをオープンしたという訳です。 

 ただ、90年代といえば、言わずもがなインターネットが急速に発達してきた時期でもあります。そんな時代の後押しもあって、小山さん世代の若いギャラリスト達は、海外の現代アーティストを積極的に日本に連れてくるようになりました。国内のマーケットの状況は芳しくなかったものの、この頃から日本のギャラリーは海外へと積極的に足を延ばすようになり、現代アートを扱うギャラリーが日本国内でもやっと根付いてきたという訳です。

 小山さんがそもそも独立してギャラリーを始めたきっかけはなんだったのかというと、一つの展覧会がきっかけだったようです。1990年代初頭、当時有名なギャラリストの元で働いていた小山さんは、自分と同世代の若いアーティストを集めた企画展を開催しました。普段、何百・何千万という額の絵を売っている有名なギャラリーで、一枚数十万円で若手アーティストの絵を売ってみたところ、せっかく絵を売ってもギャラリーの運営は赤字になってしまったそうです。そんな体験から、だったら自分で独立して、同世代のアーティストの作品を売ってみようと思い立ったのが、今の小山登美夫ギャラリーに繋がっています。

 そんな原体験が元になり誕生した小山登美夫ギャラリーですが、他にも小山さんの著書を読むと、アートをより多くの人に楽しんで欲しいという気持ちや、若手のアーティストにもっとチャンスをつくりたいという想いが語られています。Picaresqueで働いている私自身これまで全く意識したことがなかったのですが、そうした小山さんの問題意識というのは、Picaresqueが大切にしている「アートをもっと身近に」という想いにも繋がるものといえます。

 ですが、先ほども書いた通り、小山登美夫ギャラリーやその他のアートギャラリーと、Picaresqueの雰囲気はまるで違います。

 ここで、ギャラリーに行った事のない方にも分かりやすい様に、渋谷hikarieの8階にある小山登美夫ギャラリーの様子を簡単に説明してみます。隅々まで真っ白に塗られたギャラリーの壁には、ポツポツと作品が並びます。(Picaresqueの倍以上あるスペースに飾られた絵は、たったの4〜5枚です。)それぞれの絵に値札はなく、シンと静まり返ったスペースには常に緊張感が漂います。入り口付近に設置されたデスクには、おしゃれなお姉さんが2人いますが、「こんにちは」などの挨拶は特になく、勿論お茶やお菓子は出てきません。ギャラリーに訪れるお客さんは、みんな静かに絵を眺めて、特に何を話すわけでもなく去っていきます。

 一方、Picaresqueは古いクリーニング屋を改装した空間で、常にオルゴールの音楽が流れ、お客様とはしょっちゅうアート話に花を咲かせているような場所です。これだけみても、だいぶ雰囲気が違うことが伝わるかと思います。

 小山登美夫ギャラリーを始め、どんなギャラリーでも、きっと「アートを広めたい・アーティストを支えたい」という想いは同じはずです。ただ、こうした空間づくりにみられる決定的な違いは、何か根本的な思想の違いの表れともいえそうです。

 そして、その根本的な思想の違いのヒントは、ギャラリーで作品を預かるアーティストの選び方にありました。小山さんは、アーティストを選ぶときの基準は「社会性」と「時代性」だといいます。「今、自分たちが生きているこの時代と真剣に切り結んでいるかどうか。〜その判断をするためには、自分の中に美術史のマップを持つ必要があります。初めて作品を見たときに、そのマップのどこに位置づけられるかを判断するのです。」(アスキー新書 「現代アートビジネス」p.43, l.5-10, 小山登美夫)とある通り、現代アートの名のとおり、小山さんは今どうしてこの作品なのかを美術史の流れを結びつけながら考えているのです。

 一方、Picaresqueでアーティストを選ぶ基準となるのは、「絵が記憶に残るかどうか」という事が一つにあります。ギャラリストのうたみさんは、アーティストを探す時、まずは足早にアートフェアを隅から隅まで駆け巡ります。そして、その中で印象に残った「もう一度見たい」と思える作品の元へ戻って、改めてじっくり鑑賞するそうです。その行動が意味するところは、まずは美術史を知らないお客様の目線に立って、それでも十分に記憶に残り、楽しめる作品を探そうとしているという事なのです。

 より多くのお客さんにアートを楽しんでもらいたい、若手のアーティストにもっと活躍の場を持って欲しい、というのはどちらのギャラリーでもいえる事ですが、肝心なのは、アートへの関わり方がギャラリーによってまるで違うという事です。

 今回の場合、小山登美夫ギャラリーは、現代アートを預かるギャラリーとして、アーティストと一緒に美術史の文脈を着々と紡いでいく仕事をしています。一方でPicaresqueは、より多くの方にアートに触れてもらい、生活の中でアートの存在を当たり前に感じて貰う環境づくりをしていると考えています。アートの歴史を更新していくギャラリーと、アートに対する新しい価値観をつくっていくギャラリー。そう考えると、緊張感あふれる環境にアートを飾るギャラリーと、お茶を飲みながらアートに囲まれて話をするギャラリーの違いがはっきりとするのではないでしょうか。

 結論、どちらが正しいとか、より良いといった事はないのだと思います。ただ、アートを生活に根付かせる事を最優先に考えたギャラリーは、いままで殆どなかったのも事実です。現代アートのギャラリーが日本で定着し始めたのはおよそ20年前。きっと、これからはもっとアート業界の外に向かって、ギャラリーも活動ができる時代になってきたのではないでしょうか。美術史の世界を更新していく崇高なアートも大切ですが、Picaresqueはこう考えます。これからはもっと、古来より日本人がそうしてきたように、茶道や華道のように、美を愛でる行為として、身近な生活の一部にアートがあってもいいじゃないかと。

 そんなことを考えながら、Picaresqueは、一生懸命ギャラリーでカレーをつくったり、お菓子を頬張ったりと、普段の生活とアートのちょうどいい関係を探っています。果たして、10年後に「当時はまだPicaresqueは珍しいギャラリーだったんだよ」と言える事ができるでしょうか。先の事はまだまだ分かりませんが、Picaresqueはこれからも、人の生活とアートを心地よく結びつける存在として、前進していきます。

参考文献:
・東京地図出版 「G12 トーキョートップギャラリー」 山内宏泰 企画・編(2009年)
・アスキー新書 「現代アートビジネス」小山登美夫(2008年)
・講談社「その絵、いくら? 現代アートの相場がわかる」小山登美夫(2008年)

桑間千里

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