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アフガニスタンに思う

タリバンがカブールを制圧して10日。毎日、大混乱に陥っているアフガニスタンの痛ましいニュースが報道されている。そんなニュースを聞くたびに、そこに住む人々に早く平穏な生活が戻ることを願わずにはいられない。と、同時に、アフガニスタン人が真に望む平穏な生活とは....と考えずにはいられない自分もいる。

私は国際政治や、中東情勢、イスラム文化に精通しているわけでもなく、これから書く内容は全くの見当ハズレな考えかもしれない。けれど、これまで、海外で外国人として暮らし、様々なバックグランドを持つ人に出会い、少し国際感覚に敏感になっている私が、無知ながらにも最近のアフガニスタンの報道を見て思ったことを記しておきたい。

9.11を契機にアフガニスタンの政治にアメリカが介入して以来、20年。民主化を進めてきた訳だけれど、道半ばにしてアメリカ軍の撤退が決まり、そのまま、一瞬にして全てが崩れて元の木闇に戻ってしまったアフガニスタンの現状。私がどうしても引っかかるのが、この民主化について。

現代の国際社会において、自由と平等、そして権利が守られる民主政治はある種の正義となっている。戦後、民主主義国として成長を遂げた日本で生まれ育った私にとっても当たり前の社会様式ではあるけれど、そもそもアフガニスタンにとって、民主化は正義だったのだろうか?

民主主義は西洋で生まれたイデオロギーである。民主化を確たるベースに欧米各国は発展し国際的な影響力を増大してきたけれど、アフガニスタンはそもそも宗教も思想も文化も生活習慣も欧米諸国とは風土が異なるのではなかろうか。つまり、土台が異なるアフガニスタンで、西洋的な目線から民主化を進めたことに無理があったのではなかろうか、と思えてしまうのだ。

勿論、いかなる事情があっても、女性や子供の自由や人権は守られるべきであるし、恐怖政治や虐殺なんて、言語道断。今後、タリバン政権が非人道的な社会を築く方向に向かうのなら、また、アフガニスタンが内戦に陥ってしまうのなら、やはり国際的な手助けは必要だろう。しかし、そうではなく、アフガニスタンの風土と現状を見据えて、国際社会から孤立せずに国の制度を整えて行く姿勢なら、タリバン政権も完全悪ではないはずだ。とは言え、今後、タリバン政権が非人道的な方向に舵を取る可能性が高いが故に、混乱に拍車がかかっているのだろうけれど...。

イスラム教の厳しい戒律を遵守せねばならない社会と、キリスト教に基づいた欧米の自由と平等を重んじる風潮とは相反する。アフガニスタンの一般市民にとっては何が幸せで、どういう暮らしを求めているのだろうか。

そんなことを考えながら、日々、切迫するニュースを聞いている。何はともあれ、一刻も早く、アフガニスタンに平和な暮らしが戻ることを願っている。


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