ChatGPTや生成AIの使い方を言語化してくれたツイートからの刺激
【前提】noteにいらっしゃるあまたのビジネスプロフェッショナルのように深い考察ではありません。脳内整理のために音声入力しつつ綴っております。読みやすさ優先でないです。人が見るかもしれない場所で脳内整理するとまとまりやすいから綴っています。
愚者と言われると、精神ぐしゃっときている愚者です。
さて、参考になったのは『尋ねていいのは、一歩先の知識だけ』と『議論のパートナーとしてのChatGPT』という部分。
自分に当てはめると、自分が明るくない分野を尋ねるのはNG。もし聞くとしても、あくまで偏見も交えたその人(生成AI)の第一印象的ご意見として程度ですね。偏見も持っていそうな同僚A、Bだと思って尋ねるのはヨシ。同僚AはChatGPT、同僚BはGoogle Bardのことです。↓
先月自動生成AIのセミナーで生成AIを使っている人の使い方を見せてもらうと、確かに議論を深める使い方をしていて、人がうまく駒を投げ返して、生成AIにまとめさせていた。
自分の知らないことは、検索向き。個別具体的な知識は自力で調べる。
「(私は当たりをつけているけど)ざっくりどんなご意見をお持ち?これをまとめると?」は生成AI向きということですね。正解の回答ではない、と。正解を知って判断を下すのは「人である」と、人が主導権を持ち続ける意識ですかね。
自分に当てはめると、知らんことは聞くな、自分で調べろ。同僚A、Bに尋ねる前に自分で仮説を立てておき、参考程度に同僚に聞いて同僚の出してきた意見にボールを投げて、自分の思惑を裏付けと補完をするのが現時点でのベストな付き合い方と結論づけた。
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