(続)オーディオマニアとの闘い

(本文約10,000文字)

 私が書いたあるエッセイに関して、投稿後、半年近くも経過してから起きたことを書きます。長文になりますし、個人的に腹が立ってしまったというネガティヴ路線の話ですので、ご興味ない方はスルー推奨です。



 問題のエッセイは、こちらになります。


 予め、明確にしておきたいのですが、このエッセイは、投稿時から一字一句たりとも編集していませんし、カットも追記もありません。
 もっとも、今書いているこの記事を書き終えたら、公開後にこの記事のリンクを埋め込むつもりにしていますので、それが唯一の編集になる予定です。本文に関しては無編集です。
 noteは更新履歴が残らない(と思う)ので、無編集である証明は出来ませんが、既に数千人が閲覧しておりますので、そんなリスキーな嘘はつきません。

 あまり自作品について、コレはこういうつもりで、こういう意図で、こういう意味があり、といった解説のようなことはしたくないのですけど、今回は多少はそういう話もいたします。
 早速ですが、このエッセイは本文末尾に明記したように、オーディオマニアの方を揶揄する意図は全くなく、むしろ彼らの聴力はリスペクトしている、ということを前提に、音の捉え方の違いについて書いたものです。多少面白おかしくデフォルメした部分もありますが、オーディオマニアのことを馬鹿にしたり、蔑視するような意図は全くないってことは、伝わって欲しいなぁと思っていました。そう取られかねない記述も、極力は避けたつもりです。

 さて、ここからが本題です。
 ある日のこと。いつも通りnoteを開くと、半年ほど前に書いたこのエッセイに、「スキ」が付いていました。しかも、複数の方から。
 当初は、そんなこともあるんだ……と思ったぐらいで、深く考えもしなかったのですが、その後もこのエッセイにポツポツとスキの通知が届くので、「アレ?」と少し不気味に感じました。
「コレは、何か起きているのかも……」と、不安になりました。そして、ダッシュボードをチェックしてみると、その記事の週間ビュー数が1,200を超えていたのです。

 繰り返しますが、その時点で半年前にアップした記事でした。実は、記事を書いたのは更に数年前です。
 アップした当時の私は、noteを過去作の保管庫として利用していました。なので、noteでの交友はほぼなく、フォロワーも三十人程度しかいませんでした。
 淡々と、過去に書いたエッセイを他サイトからnoteに移行していた毎日で、当該記事もその中の一つに過ぎません。当時は、どの記事も閲覧数は100pvあれば良い方でした。
 本人も忘れていた記事で、おそらく数ヶ月以上、ほぼ誰にも読まれずに埋もれていたエッセイです。なのに、突然の1,200pv。週間pvとは言え、実質的にはその日一日のビュー数と見做していいと思います。
 ということは、何処かで(おそらくはXで)拡散されちゃったな……ということしか思い付きません。同時に、ちょっと怖くなりました。と言いますのも、批判的な受け止め方をされる可能性が全くないとは言い切れない、という自覚があったからです。

 基本的に、自分で書いたものがどの様に受け止められようが、全て受信者に委ねるしかないと考えています。むしろ、そこをコントロールしようとする発信者は、創作活動には不向きな人と思っています。

 過去にもいました。
 ある作家さんは、漫画を投稿する際に、「この物語は、メリハリのために少しだけギャグ要素も含まれていますが、シリアスな話なので、茶化すような感想は書かないでください」といったことを添えていました。
「え?」と思いました。読者に感想の方向性を制限するんだ、とビックリしました。
 創作活動をするのなら、発信する作品については、誰が何処に何を感じるのか、全て受信者に委ねるべきだと思うからです。これは、どんな創作でもそうですし、創作じゃなくSNSでの呟きや動画配信など、「発信」すること全てに当てはまると思います。

 そういった意味では、件のエッセイは、私にそんなつもりは全くなくても、批判や否定、もっと言えば「オーディオマニア」の方への挑発と受け取られる可能性もあると思っていましたし、それはそれで仕方ないとも思っていました。
 もちろん、そうならないように配慮はしたつもりですが、後は受け手の判断に委ねるしかありません。そんなつもりじゃ……というのは、発信者が言うべきことではないのです。
 でも、やっぱりそう受け取られると辛いのは確かです。なので、拡散されたっぽいことが分かった時は、不安が先行したのも事実です。
 その時のつぶやきがこちらです。

 自分でもXで探りを入れてみますと、この記事をリンクしたポストが幾つか出てきました。後は時系列を調べると、容易に最初に紹介した方も判明しました。すると、幸いなことに、「面白い記事」として紹介してくださっていたことが分かりました。しかも、その方自身も、オーディオマニアのようです。
 そして、そこからオーディオマニアの方々の間でリポストが広まり、少し拡散されたようですが、コメント欄を拝見しても、皆さんとても好意的に記事を読んでくださっていることが伝わりました。自虐ネタとして、オーディオマニアのあるあるネタとして、そして時には自省を込めて、記事を楽しんでくださっていたのです。

 その後、最初に紹介くださった方は、わざわざnoteのアカウントを取得して(未使用なだけで持っていたのかもしれませんが)、ご挨拶に来てくださいました。たまたま見つけた記事を「面白い」と思って取り上げたところ、思わぬ形で拡散され、もしご迷惑をお掛けしたのなら謝罪したい、必要ならポストも削除する、という申し出でした。
 その頃には、私は全く悪意のない拡散だったことは把握しておりましたし、評価は受け入れるしかないと切り替えておりました。なので、真摯で誠実な行動に感銘を受けたぐらいです。むしろ、最初に紹介くださったのがその方で本当に良かったと思ったぐらいです。
 noteの記事は、ある意味では普通のブログと大差ありません。ネットに公開されていますし、ログインしなくても読めるため、URLは何処にでも貼れるのです。そのことに関して、私はあまりにも無頓着過ぎたなと反省にも繋がりました。なので、感謝したいぐらいの気持ちに変わっていました。

 記事のビュー数は、僅か三日で2,500を超えたのですが、そこでピタッと止まりました。これで、ようやく落ち着いたと思いました。Xでの拡散力、影響力は、瞬間風速は凄いけど過ぎ去るのも早いのだな、と思ったものです。
 ところが、数日後にまた何故か微増し始めたのです。その後も(現在も尚)微増は続いており、ついに3,000pvも超えました。思ったよりもしぶといなぁ、と思っていたのですが、その理由が判明しました。ある方が「YouTubeで取り上げられている」と教えてくれたのです。
 なので、早速視聴してみたのですが、そこではとんでもない取り上げられ方をしていたのです。


 動画はおっさん二人のトークです。検証の為に埋め込みましたが、観る必要はありません。でも、ここから私が書くことに疑問を持たれるのなら、ぜひ確認の為にご覧ください。

 動画では、開始4分ぐらいから私の記事についての話になりますが、記事の具体的な情報はnoteの記事ということ以外は喋っていません。まず、そこが狡猾です。記事とトークを照らし合わされるのを避けたのでしょう。
 多分、表向きは承諾なしに紹介しているので、具体的な記事のタイトルやURLは伏せたというスタンスでしょうし、それは理解出来ます。
 しかし、逆に言えば、殆どの視聴者は該当の記事を知らない状態で視聴しているということです。それをいいことに、有る事無い事、出鱈目なことを喋っているのです。
 動画の最後の方で、「変なコメントとか来てもイヤなのでURLは伏せる」といった発言があることからも、元記事と参照されないようにしていることは明らかです。そもそも、正しいことを伝えている自信やプライドがあるなら、「変なコメントが来たら……」なんて発想にはなりません。
 余談ですが、私は、自分の記事もこの動画も隠しません。何故なら、もし疑問に思う読者や視聴者がいるのなら、比較して欲しいからです。

 さて、自分で発信したものは、受信者にどう受け取られようが仕方ない……とは書きましたが、それは悪意がないことは勿論のこと、勝手にオリジナルを改竄されていないことが大前提なのは言うまでもありません。しかし、その動画では明確な悪意(若しくは敵意)を持って、都合良く内容を脚色して取り上げられていました。

 私は、オーディオマニアの方を心底リスペクトしておりますし、記事に取り上げた方以外にも、数人身近な知り合いで愛好家がいます。中には、誰でも名前は聞いたことがあるような超大物の方もいます。この動画配信者とは大違いの、見るからにして高尚な印象の人格者ばかりです。
 それに、記事の内容は、まだ私が未熟な調律師、いや未熟な社会人だった二十年も前の出来事でして、生まれて初めてオーディオマニアの方に接した時の体験談です。
 今では私も少しはオーディオに興味を持っていますし、実際にマニアのお客様が作ってくださった自家製の真空管アンプを、タンノイのスターリングに繋いで音楽を聴いているぐらいです。
 それなのに、動画では私がオーディオマニア(動画内では「オタク」という言葉にすり替えられていた)のことを見下し、価値観の違いを揶揄しているような人物であるかのように描かれています。エッセイを読まずに動画を視聴した人は、そういうイメージしか抱かないでしょう。
 そして、その「捏造ネタ」を前提にして、「でも、それは逆も言える」と反論し、オーディオマニアの正当性を主張しているのです。

 具体的な部分を取り上げていきます。
 まず、(4:55)ぐらいのところで、いきなり「ピアノ調律師だから当然耳が良い」という、私が実際に書いてあることと真逆の条件を視聴者に刷り込んでいます。それによって、「耳の良い調律師」が、オーディオマニアを見下すという対立構図を築いているのです。
 しかし、私は記事の何処にも「調律師は耳が良い」なんてことは書いていません。むしろ全く逆でして、「調律師はイメージほど耳は良くない」と明記しています。なので、「微細なオーディオの音質の差異なんて分からない」とも書いています。
 記事を読めば分かりますが、記事中に登場するマニアの方が、勝手に「調律師は耳が良い」と思い込んでおり、だからこそ理解を求め、もっと言えば「俺は調律師より耳が良い」というマウントを取りたくて、聴き比べを強要している……そういう体験の話なのです。普通の読解力があるならば、それぐらいは読めば分かるでしょうけど。
 それを、被害妄想なのか、日本語に難のある方なのか、書いてあることをめちゃくちゃに捻じ曲げているのです。

 動画では、私がオーディオマニアのことを(書いてはいないけど、と注釈しつつ)「ウザイ」と思っているという主張がありましたが、それも大きな間違い。
 いや、「ウザイ」と思ったのは事実ですし、そのような表現もしています。でも、前提条件がゴッソリと抜けている上、目的語が違うのです。
 恰も、私がオーディオマニアを敵視や蔑視している人のように、印象操作されていますが、曲解もいいところです。余程、文意を理解出来ない人なのか、恣意的に触れていないのか、その切り取り方は悪意剥き出しで、狡猾過ぎます。

 そもそもが、記事にも明記していますが、会社の上顧客と調律師という社会的な関係性もあり、絶対に無下に出来ない相手なのです。しかも、その方の目的も分かっております。夜にその人の家で二時間も軟禁状態にあい、前述したように「よく分からない」趣味に付き合わされ、逐一感想を求められ、時々、調律師を馬鹿にするような発言をされても、受け流さないといけないのです。
 こういった理不尽な社会人経験は、誰にでもあるでしょうけど、誰だって、こういう人間関係は「ウザイ」ですよね。
 だからといって、オーディオマニア全体が「ウザイ」なんて思っていないし、書いてもいません。このお客様に限定し、彼が私に取った「態度」と「行為」がウザイのです。その部分を明らかな悪意で改竄し、配信しているのです。書いてあることは伝えず、書いていないことを勝手に付け足して配信しているのです。


 また、動画の(5:40)辺りでは、「オーディオなんてどうでもいい、なんならiPhoneで良い」と私が主張しているようなことを発言していますが、何処にそんなこと書いてあるのですか?

……私の場合は音楽なんてそこそこの音質で聴ければ十分満足なのです。なんなら、スマホでも不満がないぐらい。

 元記事をそのまま引用しますと、このように書きました。これは、元記事を読むと明白ですが、前述した「オーディオの細かな音質の差異なんて分からない」いう文面の続きです。
 どうでもいいわけではなく、iPhone(実際はスマホと書きましたが)で良いなんてことも書いていません。配信者が勝手にそう言っているのです!

 私は、『そこまでの拘りはないし、細かい違いはよく分からないから、そこそこの音質であるならヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ、スマホでも不満はない』と書いたのです。
 高価で専門的なオーディオシステムの構築を否定するつもりは全くなく、むしろ、深く追求するこだわりや向学心は尊敬しています。それに、誰にとっても「音が良い」方が良いに決まってますし、それを模索する精神はとても尊いものだと思っています。
 立場は違うものの、音を扱う専門家として、その違いがどうやって生まれるのか? ということも興味はあります。ただ、そこまで細かい差異までは、なかなか追えないのも事実なのです。その辺りの聴力は、調律師も一般人も大差ないのですから。もちろん、調律師でも分かる人もいますし、一般人でも分かる人はいます。同じなんです。

 逆に言えば、どれだけオーディオに拘っている人でも、ピアノのユニゾンを意図的に0.1セント程度ズラして、音色に微妙な変化を与えること、実は調律師はよくやるのですけど、その響きの違いを理解出来る人なんてものすごく少ないと思います。
 これは、調律師が訓練で身に付けた物理的な操作ではありますが、その違いは、耳が良い、悪いではなく、感覚や感性の問題で解決を図るものです。
 もちろん、理解出来る人もいます。半分自己満足でやっている部分もありますが、理解出来る人が存在することは知っています。それに、何処に理解出来る人がいるかは分からないですから、いつ誰に聞かれても良いように常にベストを尽くしているのです。

 この調律師が作る微妙な音の違いは、オーディオマニアではなくても分かる人はいます。逆に、プロのピアニストでも分からない人はいます。極端な話、未熟な調律師の中には理解出来ない人も多いです。それだけ微細な違いです。
 要するに、専門的な分野の微かな「聴き分け」なんて、「オーディオマニアだから」とか「調律師だから」「演奏家だから」「一般人だから」といった括りは不要なんです。
 分かる人は分かるし、分からない人は分からない、そこに優劣や真偽や正誤なんてありません。追求することも、とても価値あることと考える人もいれば、そうじゃない人もいます。何でも同じです。
 私が批判していることは、その価値観を無理矢理人に押し付ける「行為」です。そして、実際にそれをやられたという前提があってからの、「それなりの音質であるならスマホでも不満はない」なのです。

 例えば、調律師にほんの僅かなユニゾンの違いを「聞いてみて!」「これ分かる?」「これならどう?」「こうするとどう感じる?」「オーディオマニアでもこの違いは分からないか……」「スゴイ機材で聴き比べしてても、生音の微妙な違いは聞き取れないんだ」と延々と二時間やられたら、どう思いますか? 音は合ってる中での、ほんの微細な違いの追求です。ほとんどの方は、違いは感じないレベルです。それを延々と……「音が合ってるなら問題ない」と思いませんか?
 しかも、絶対に無下にしてはいけない人に、見下されマウントを取ろうとした講釈を延々と続けられるのですよ? 私は、オーディオのシステムのことではなく、彼が私にやったことを皮肉っているだけです。
 そういう明記してあるバックボーンを全て無視して、しかも「iPhoneでいい」などという書いてもいないことを配信するなんて……悪意で捻じ曲げているとしか思えないのです。
 ひょっとすると、このおっさんも同じことを平気で一般の方にやっていて、自分のことを言われた気がしたのかもしれませんね。もっとも、こういう人は、相手に迷惑がられていても気付かないかもしれませんが。そもそも、こんな人にはオーディオに興味のある人しか近付かないのかもしれませんし。
 オーディオの機材やシステムに対する評価は、文中では特に触れていませんし、それを見下すようなこと、オーディオなんて無意味だというようなことは、全く思ってもいないし、書いてもいません。この人が、勝手に私をそういうキャラに仕立てているだけです。

 一番ムカついたのは、ハービーのくだりです。「曲も知らないのに……」なんてことは、全く書いていません。別に誰が何で何を聴こうがどうでも良いのです。
 ただ、普段から愛聴しているハービー・ハンコックのCDをかけてくださり、オーディオに詳しくない私でも、明確に「家で聴くのとは全く違う!」と分かるぐらい、臨場感が生々しく伝わったのです。なのに、そんな(きっととても高価な)機材でハービーを流しておきながら、ハービーを知らないことに驚いただけです。
 そのことを否定したり批判したり揶揄するようなことは、一切書いていません。何処にそんなこと書いてありますか? 匂わすようなことも書いていません。あまりにも酷い、嘘だらけ、創作だらけの出鱈目話に、悲しくなってきました。

 その後、少しCDを掛けると、直ぐに音楽をぶつ切りにして、何度もCDを取っ替え引っ替えにして、システムを組み直し、聞き比べに付き合わされ、逐一「これはどう?」と感想を求められたのです。
 当時の私は、オーディオは「音楽を聴くためのもの」という先入観があったので、マニアの方は「より良い音で音楽を楽しむ」為にやっていると勝手に思い込んでおりました。ですが、次第にそうではなく「この人は、音楽や演奏でなく音にしか興味ないんだ」と気付いたのです。
 なので、驚きと戸惑いは否めなかったのですが……でも、驚き、戸惑っただけです。それを否定したつもりはありません。そういうことも一切書いていません。
 また、そのことに気付いたのは、最初にハービーを聴かされてから、かなり時間が経ってからのことです。動画では、全く違う切り取られ方をされましたが、ハービーを聴いた時点では不思議に感じただけで、批判どころか何も書いていません。
 この辺の事実関係を、配信者は勝手に妄想で脚色して事実に反することを付け足しまくっているのです。

 この配信者の妄言を聞いていると、元記事を読んでいない視聴者は、私がオーディオマニアのことを、「ハービーも知らないクセにCDかけたの?」「え? 音しか聞いてない?」「音楽には興味ないの?」「それはどうなの?」とバカにしているように書いている、と受け止められるでしょう。そういう方向性の配信でしたけど、全て信じられないレベルの虚言です。
 その妄想を根拠に、私を貶めるような内容に改竄して発信するのは、あまりにも作為的ですし、無礼過ぎます。名誉毀損レベルの悪質な捏ち上げです。
 明らかに、穿った見方でしか記事を読んでおらず、私のことを視聴者に「オーディオマニアの敵」と位置付ける為にあることないこと嘘を重ね、それを「オレ様が論破してやる」という臭過ぎるシナリオが見え見えなのです。


 途中、「正義のために」なんて発言もありましたが、どの口が言ってるのですか?
 正義のために嘘を書き、捏造し、書いていないことを勝手に付け足し、印象を操作し、わざわざ「悪者」を作ったのですか?
 そうやって、恣意的に作り上げた「悪者」を成敗することが「正義」なのですか?
「勘違い」とか「記憶違い」とか、「解釈の違い」などでは、許されません。明らかに、悪意ある捏造、恣意的な印象操作です。

 最初の方に「何も思ってなかったらわざわざ書かないよね(6:15辺り)」と私のことを皮肉っておきながら、「正直、何も思わないね」とカッコつけて発信している自己矛盾も含め、相当性格の悪い人なんだなぁと思いました。
 エッセイですから、思ったこと、感じたことを書いています。当たり前です。何も思わないことはエッセイになりません。「何も思わない」なんて記述、どこにあるのか教えて欲しいです。ホント、嘘つきですね。
 それなのに、このおっさんは、件の記事を読んで「何も思わないね」と発言しています。

 はぁ? めっちゃ喋ってるやんw
「何も思わない」なら、わざわざ喋らないし配信しないよね? って特大ブーメランになっていますやんw

 いやいや、自分のことを否定された気がして、ムカついたのでしょ? 思ったことを喋るのは自由ですけど、「何も思わないね」なんてカッコ付けるのは恥ずかし過ぎますし、元ネタに書いてあることを出鱈目に改竄して取り上げるのは、あまりにも卑劣です。

 現在、記事の体験から、20年以上経過しています。社会人経験の浅かった当時の私と違い、今は独立開業して長いですし、調律師としての経験もそれなり積み上げています。
 今では、オーディオマニアのお客様や知人も沢山います。皆さん良い人ばかりです。私も今は少し興味持っていますし、レコーディングやPAを使う仕事では、オーディオマニアの方に相談を仰ぐこともあります。直接ご指導いただくこともあります。また、尊敬している同業者の先輩にも、実はマニアの方が沢山います。
 だからこそ、調律師にはないアプローチによる、彼らの繊細な聴力にはリスペクトしていますし、何より、彼らの尽きない探究心は見習わないといけないと思っています。なのに、中にはこんな下衆なおっさんもいるんだとガッカリしました。
 実の所、(当然ですが)このおっさんの知識や技量、能力などは知りません。でも、たとえどれだけ優れていたとしても、動画を視聴しただけで独善的な大嘘つきってことは分かりましたし、人間的に全く信用出来ません。

 もし、元のエッセイと本記事を読んでくださった方には真意が伝わればいいな、と願っていますが、私はオーディオマニアの方と「音や音楽への探求」や「アプローチ」「捉え方」「聞き方」などが違うことに気付き、驚いたこと、戸惑ったことを書いたまでです。それがどう受け取られるのかはコントロール出来ませんが、普通に読めば伝わると思います。
 実際に、Xではオーディオマニアの方に好意的に受け止めていただきました。
 もちろん、趣味で文芸に取り組んでいるため、読者さまに楽しんでいただけるように、多少は面白おかしくデフォルメした部分もあります。身バレ防止の為のフェイクも含んでいます。
 また、こちら側視点での記事として取り上げましたので、オーディオマニアの方にとって不愉快な部分もあるかもしれません。そのことで批判される分には、仕方ないと考えていますし、真摯に受け止めないといけないでしょう。
 でも、この動画のおっさんのように、根本から捻じ曲げて取り上げられると、話は違ってきます。他の配信は見ようとも思いませんが、私がされたように、適度に都合良く切り取り、妄想を付け足し、捏造し、嘘で固めて、やりたい放題なのかな、と勘繰ってしまいます。

 ただただ、これ以上、他に被害にあわれる方が出ないことを願います。
 これは、あくまで私の予想ですが、この人は独りよがりで独善的で、自分は正しい症候群のテンプレみたいな人間でしょう。身近に諌めてくれる人もいないのかもしれません。
 記事を参照され、コメントが来るのを拒みたいようですが、音だけでなく、もっと、世間の声や周囲の意見にも耳を傾けるべきですね。
 もっとも、どんなに素晴らしいシステムを構築しても、こういうタイプの人には、イエスマン以外の意見は聞こえないのでしょうけど。もちろん、私の想像に過ぎませんが、そう思ったので書きました。