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フシギナアノヒト

会ったことない、あちらは私のことなんて絶対知らない、
とても有名で成し遂げた偉業も本当にすごいヒトだけど、
あまりに遠すぎる存在なのと、
先駆者すぎて感覚が追いつかないせいで
好きか嫌いかを考えることもないヒトだった。

だから唯一会える機会があったけど、少し幼かったために行くのをやめたら
二度と会えなくなった。

もうしっかり大人になった頃、
そのヒトの早すぎる死に衝撃が走った。
でもそれは、そのヒトの影響力が大きかったから当然か。と思っていた。
確かにショックだけど、
熱烈なファンでもないし、
そのヒトの全盛期の私は幼く、
追いかけられるほどお金や自由がなかったから、
例えば最新作チェックなどの情報を追うこともしていなかった。

そのヒトが亡くなったニュースを聞いたあとは、
世界中がそのヒトのニュースでもちきりになり、ラジオはそのヒトの偉業を振り返る企画で埋め尽くされた。
そうなるよな、当然ね。くらいドライに感じていたのに、
夜になったらなぜか涙が止まらなくなった。

今でも答えがない、不思議でしかない出来事だったけど、
本当の性格も知らない有名人の死で、なんで?と思いながら涙が止まらなかった。

病死なのか殺人なのかも情報が錯そうした状況で、亡くなったことが本当かどうか、までニュースになっていたようなタイミング。
ファンでもなければ泣くのはおかしいと自分でも思うし、
連日こんなに泣いてるのはどう考えてもおかしい。と思いながらも...。

その後も、半月くらい急に思い出して号泣する日々だったけど・・・・なんで??
思い出すったって何をよ??と突っ込みたくなるくらい、ほぼ何もないはず。

いつも空を見上げて泣いていたのは覚えてる。

後々、あの時は自分がおかしくなっちゃったのかな?と思ったけど、
数年後の命日に、同じタイミングで同じ状況になった人の記事をいくつも見て驚いた。
そんなことある?と記事を書いている人も驚いていたし、理由が今もわからないと。

そのヒトが亡くなったあと、未発表曲などが出たこともあったけど、
完璧主義だったそのヒトが生前に、
「これはなし」ってした作品なんだから勝手に世に出すのどうなのかなぁ。
となんだか納得できずにずっと聞いてなかった。

最近、新しいサブスクを入れたのでリストを整理していて、
未発表曲はどんなかな?と聞いてみたらやっぱり今聞いてもカッコイイよねぇ。
結局お気に入りにいれちゃったけど(笑)

個人的に誕生日を大切にしているので、
今は会えない人(身内も)の亡くなってしまった悲しい日である命日よりも、
たいていの人が嬉しい日である誕生日を忘れないようにしている。

どんなに遠くて豆粒みたいでも、そのヒトに会える唯一のチャンスを逃したことは本当に残念だったけど、
同じ時代を過ごして作品にギリギリオンタイムで触れられたことは本当にラッキーだったと思う。

フシギナアノヒトはマイケル・ジャクソン。

今はあんな風に泣くこともないし、あれ以来ハマッてしまって・・・というようなレベルでは聴いてないけど、あの一時だけ、とっても不思議な出来事だった。

1日過ぎちゃったけど、お誕生日おめでとう

沢山の素晴らしい曲やダンスをありがとう

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