他人の評価はあまりあてにならないが、自己評価より全然マシだったりする

世界一のテニスプレイヤーのコーチは、当然選手よりテニスがうまいわけではない。なんせ相手は世界一なんだから。でも、コーチがいない、世界一のテニスプレイヤーはいない。方針があわなかったり、パフォーマンスが悪いコーチを解任する選手はいるけど、コーチ自体を廃止する選手は聞いたことがない。

どんなに優秀な選手にもコーチが必要なのは、人間には自分を客観視するのがとても難しいからだ。ほとんど不可能ともいっていい。天才的な頭脳の持ち主でも、むしろ天才こそ、自分を客観的に評価することができない。時に過大評価し尊大になり、時に過小評価し自分に絶望する。

自分に対する過小評価がとめどなく進行すると、生命さえ脅かす精神的な危機を迎える。過大評価が進行すると、社会性な死につながる。自分を客観的に評価できない、ということは結構大問題だったりする。でも、僕たちにはテニス選手のようなコーチがいない。

それでも僕らがそんな危機的状況に簡単には陥らないのは、仕事だったりなんなりにおける客観的な評価に晒されているからだとおもう。評価されたりそうでなかったり、昇進したりしなかったり、転職で給料があがったりさがったり。

そんな他者による評価もまあ結構あてにはならないが、自己評価よりははるかにマシなのだ。なので、仕事で評価されなかったり、渾身の力作の反応が悪かったら落ち込むかもしれないが、それは自己評価を「キャリブレーション(調整)」することにより、最悪の精神的危機から自分を救ってくれているともいえる。

仕事をしていない人が精神のバランスを崩しやすいのはこのためだ。専業の子育てなんかもこの危険性を孕んでいる。そういう人には、自己評価が必要以上に低くならないようにケアしてあげなくてはならない。

そしてこう考えると、仕事で評価されない、ということがちょっとありがたく思えてくる。それは間違っているかもしれないが、大体において自己評価よりは全然マシなのだ。どうしても納得できなければ、転職活動なり起業でもしてみればいい。そこでの客観的な評価も同じ結果なら、それはより自己評価よりあてにしていいということになる。

おわり

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