ある天才について
先日、三男の参観日で算数、ではなく道徳の授業を見学した。
そこではボール遊びを例に、同じ事をしたのにある時は褒められて、ある時は怒られる、なんでだろ?みたいな話をしていた。
子ども達もあーでも無いこーでも無いと活発に発言していて感心するばかり。
ただ、ウチの子はシャイなのでその場では分かっているのかいないのか分からないような態度。
なのでそれから事あるごとにその話に関連するように話を持ちかけると意外と良く理解しているようだった。
まあ、それは小学校低学年の話で、大人であればもう少し哲学的な話にしたい。
そうサンデル博士バリの正義の話だ。
例えば、
この道徳の例と同様に、同じ行為でありながら、さらに時間や状況も全く同じである場合においても、良い事として受け入れられたり悪いこととして受け入れられたりすることはあるのか?あるならなぜか?
例えば詐欺。
自分に無関心な人間より、ある意味で積極的な詐欺師の方が幸福をもたらす事もありうる?
というテーマで
大人の飲み会で話す時間が欲しいな。
それはともかく天才の話だった。
このnoteのタイトル画像はある音楽のグラフだ。
これはその楽曲の音量の変化と見る事が出来る。
正確にはある一定の時間毎の音のエネルギーの量だから聴覚上の音量とは違うけど
この場合は約3分間にわたって徐々に大きくなっていく様が見て取れる。
例えば楽器を演奏して、これだけの時間にわたって音をだんだん大きくしていくなんて、出来る出来ないの前に飽きると思う。
だから、これはこれでこの音楽を作りだした者は天才なのだ。
その一瞬の演奏表現だけではなく、演奏時間全体を見渡し、そこからその瞬間の演奏を位置づける事が出来ているから。
ただ、今時は録音後に音楽編集ソフトで斜め右に上行する線をマウスで描けば一発でこういう変化は指定できる
凡才と天才。ホンモノかニセモノかをもし見分ける必要があるなら、こんな視点が必要なのだと思う。
道徳と音楽の時間でした。
というより、宣伝の時間でした。
夏の夜に聴きに来てね。
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